JR尼崎事故から13年、、、






 107名の死者と600名以上の負傷者を出した、JR尼崎事故から13年過ぎたそうです。

 この尼崎事故の5年ほど前の、50歳も近づいたころから、私はバリバリ飛び回る物資輸送の配置も降ろされて、当時は在阪のテレビ局の取材飛行を担当していましたので、当日は午後から半月ほどは何回も現場へ飛びました。

 当日午後からは生存者の音声探査をするということで、サイレントタイムと言う飛行禁止の時間が設定され、これは確か新潟地震の崖崩れ生き埋めの救出作業に続く日本で2回目のことだったと思います。

 事故のあと、事故の原因、要因になる多くの事柄が表ざたになり、ひとつの事故の背景にはどれほどの不具合があったかを物語っていて、そのうちひとつでもうまく実行されていれば、107名もの人が死亡することなく切れぬけたと思えばヘリコプターの事故とまったく同じだと思ったものです。

 当時表に出た例で一番驚いたのは、日勤教育と言う、インシデントなど不具合を起こした運転手を乗務配置から降ろして、給料をカットし、日勤で出勤させ、会社の安全方針などを一日中、写経のようなことをさせるなど、いじめ、嫌がらせのような処罰行為を普通のように実施していた事がバレています。

 当日事故直前に死亡した運転手が、手前の駅の停止ラインを80メートル以上を行き過ぎてしまい、最後尾の車掌に連絡を入れて、ラインオーバーを8メートルに値切って、司令室に連絡するように頼んだのは、この日勤教育を免れるためであったとバレています。

 オーバーラインなどで遅れた列車が東海道線に合流する時に、ダイヤどおりに神戸方面から来る列車の前に入るため、速度超過したままカーブに突っ込んだのが脱線転覆する直接の原因となったそうです。

 このいきさつを取材ヘリを使って、低空で飛び、運転席からの見え方に近い位置を飛んで、始発駅からの運航状態を何回もトレースして撮影しましたので、事情が良くわかりました。

 事故直後、多くの消防ヘリが近くの学校などへ集結し、遠くは確か名古屋からも来ていたと思いますが、長く学校に駐機したままで、次々飛び上がるような動きがなかったのを大変もどかしく見ていた記憶があります。

 神戸の震災を経験した後なのに、ヘリコプターがあっても救急搬送体制がしっかり出来ていなかったのではないかと思った次第です。

 当時事故現場では千里救命の救急医だった、その後の豊岡ドクターヘリチーフの小林医師が、救急の指揮を取っておられたそうですが、上空から取材ヘリで眺めていた私と後にドクターヘリで一緒に飛ぶことになるとはまったく想像もできなかった運命でした。
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Secre

No title

何かを忘れています
利益第一、成果第一、結構なことです。でも、何のためにその生業ををしてるのでしょうか。こんなつまらないことで(私見ですが)身内や知人を失った無念は消えないことでしょう。せめて自然災害だったら少しは前向きな気持ちになれるかと不謹慎ですが思います。
バブル、リーマンを経てアベちゃんの『美しい日本』はどこまで行くのか?この人、笑顔で棺桶に入れるの?という方が目に付きます。
私の心がけは『ベストよりベター』『近道より遠回り』『石橋は壊れるまでたたく』今時これじゃあダメだろうけどね…

No title

もう13年・・まだ13年!・ずーっと昔のような、🚋 今も緊急援助隊隊として現場へ行った時の状況、ありありと思い出せます。1車両が、マンションの中に消えて確認できなかった?・・そんな現場でした!ねー。要救助者は多いものの、救助口が限られて、救助活動することなく、帰隊・・・その後センター長と、一緒に仕事してるなんて! もう少し頑張ります ☺ (^_^)
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bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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