硫黄島の生き残りの方の講演会 聞いてきました、、
昨日は大阪市内へ出て、激戦の硫黄島を戦って生還された秋草 鶴次さんと言う方の講演会を聞きに行ってきました。
秋草さんは昭和17年に15歳で海軍に志願して通信兵しての訓練を受け、硫黄島には19年7月上陸され、戦闘で重症を負い、捕虜となり、21年1月に生還されたそうです。
第2次大戦の体験者の方の中でも15歳入隊の方ですら、今年で87歳と言うことで、生存されている方から貴重な体験談を直接お聞きできるのも、皆さん90歳程度のご高齢で後がないと言う状況のようです。
写真でもわかるように後援を聞きに着ている方、ほぼ1000名と言うところでしょうか、すごい人でした。
当時日本軍は陸軍海軍合わせて約21000名程度が駐屯し、そのうち96%のがなくなったそうですから、生き残った方は約1000名以下、米軍ですら約6000名が戦死し、約20000名が戦傷を負ったそうですから、2次対戦でも1,2の激戦であったそうで、一日の戦死者が500名を超えたことは米軍の歴史でも最高だそうです。
以前お話を伺った ゼロ戦乗りの方、戦艦大和の乗組員の方たちとまったく同じように、90歳近いご高齢にもかかわらず、大変お元気で話しぶりもはっきりしていて大きな声でわかりやすいお話しをされる事には大変感心しました。
昨日お聞きした話のなかで、ひとつの印象的なエピソードをを紹介すると、映画でも有名になった、島の最高峰の擂鉢山に必死の形相で米兵が数人で星条旗を立てたことは有名ですが、なんと次の日の朝にはまた 日の丸が翻っていたそうで、日本軍米軍それぞれ必死の戦いの様子がよく理解できます。
そう簡単に取られてたまるかと言う、日本軍兵士の大和魂を強く感じることが出来ます。
戦後アメリカはじめ連合国が日本人を骨抜きにして、2度と戦えないようにしたかった気持ちが良くわかります。
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コメントの投稿
No title
硫黄島からの、遺骨の収集を早期に進めてもらいたいです。
No title
前の現場で一緒になった方(一応同僚という括りになるんだろう)が
防衛省の仕事で硫黄島の自衛隊の基地の改修工事だかで1ヶ月ちょっと行ってようです
(写真見せてもらいました)
当然ながら周囲に何も無く 娯楽も無く インターネット環境もなく
仕事終わったら メシ食って寝るだけ とのこと
3日で飽きたと言ってましたが・・・
長期 ここで任務についておられる自衛隊の方々は ホントご苦労様です
防衛省の仕事で硫黄島の自衛隊の基地の改修工事だかで1ヶ月ちょっと行ってようです
(写真見せてもらいました)
当然ながら周囲に何も無く 娯楽も無く インターネット環境もなく
仕事終わったら メシ食って寝るだけ とのこと
3日で飽きたと言ってましたが・・・
長期 ここで任務についておられる自衛隊の方々は ホントご苦労様です
No title
No title
本田ジェット 今後の展開、楽しみですね