初めて屋上ヘイポーとに着陸したころ、、

下線文

 日本で初めて屋上へリポートが開設されたのは当時の朝日ヘリコプターが報道取材などに使った池袋の西部百貨店の屋上だったそうです。

 私がヘリで初めて屋上に着陸したのは、昭和47年 1973年だったと思います。 その時はすでに西武百貨店の屋上へリポートは廃止されていて、芝浦の東雲開発の倉庫ビルの屋上に代わっていて、その理由は離着陸時の不時着場が必要という規制がかかったことが理由だったようです。

 離着陸時にエンジンが停止した場合にオートローテーションで降下着陸するのみ池袋の繁華街ではどこにも降りるところがないので、大事故は免れませんが、芝浦の場合は運河があり水上に不時着すれば地上の人や物件に被害を与えないで済むということでしょう。

 今現在でも着陸許可を取るには不時着場が必要で、かなりのヘリポートまがいの着陸場が許可が取れない、つまり着陸できないということになっているそうです。

 救助特例事例の許可が必要ない場合は着陸は可能でしょうけれども、患者を下ろして、離陸するときは細かく言うと、救助事例とは言えませんので離陸は出来ないということになるのでしょうか。

 私が1973年当時初めて着陸したのは、もちろん芝浦ヘリポートでライセンスのない訓練生で、当時はやっていたヘリによるラジオ交通情報のフライトで、飛行時間稼ぎに飛ばしてもらっていた時でした。

 芝浦ヘリポートはテレビ報道のTBS,日テレ、フジの3社のヘリが常駐していますので、30メートル四方の狭い着陸帯に3機のヘリがパーキングしていて、残りの一角にローター間隔3メートル程度に詰めて着地させる必要があります。

 のちの航空局から、着陸帯に3機も4機もパーキングするのは危険で違法だとクレームが入っって駐機用スペースを拡張しましたが、狭い駐機場所にローターをいっぱいに詰めてパーキングするなら拡張する意味はほとんどないと思いますが。

 当時の離着陸方法は今のような高出力のヘリではない、非力のベル47G2かKH4ですからドクターヘリのように高い所から深い角度で着陸したり、垂直離陸するような危険なことは出来ませんので、離陸はダイブ、着陸は水平にアプローチしたり人によっては下からきて、速度を殺して水平面の少し上に出て滑り込んでホバリングするパイロットが多かったようです。

 なぜそのようなことをするかと言えば早くて安全だからでしょう。

 ライセンスを取った直後の新米はKH4のテレビ取材しか仕事ができませんので、大阪へ転勤するまでの半年くらいは屋上へリポート着陸を繰り返し経験できましたので、ヘリの都心でのフライト、離着陸の醍醐味を十分に味わうことができました。


 
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bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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