大昔 急患の子供を運んだけれど、、、

30歳から31歳にかけてインドネシアで石油開発や木材開発などのチャーターヘリを飛ばしていたとき、飛行区域はジャングルの中で近くには小さな村が結構ありました。
電気はないか発電機、学校らしきものはあっても病院もなく医者もいないようなところが多く、急病人が出たときには、開発会社のマネージャーにヘリで運んでくれと要請があって飛ぶことがありました。
医者のいる町まで30分も飛んで、5,6歳の女の子を搬送したことがありましたが、高い熱を出して意識朦朧、汚い毛布に包まれて、母親らしき人に抱えられて、狭いヘリの後ろの席で震えていたと思います。
当時はマラリヤなどの予防注射をして、出国したと記憶していますが、やはり感染の恐怖というものがあったと思います。
1980年ですので、エイズがほぼ蔓延しだした頃だったのですが世の中にはまだエイズ自体を確認されていない時期だったのですが、すでに蔓延していたようです。
小さなヘリのキャビンでは、感染は避けられないとは思いましたが、かかったらかかったでしょうがなという気持ちでした。
今の新型コロナ肺炎の患者さんをドクターヘリで運べば、ほぼ感染する確率は大変高く、ヘリは消毒、乗員は2週間の隔離となることでしょう。
救急車は搬送しないとか情報がありますし、クルーズ船から搬送した救急隊員や医療関係者が感染したという例もあるようですから、万全の防護体制で臨んでも危険がいっぱいのようです。
当時はほとんど感染症の知識もなく、恐怖も一時的なもので、気安く引き受けて30分も載せて飛びましたが、たぶん関係者はマラリヤ程度だと軽く見ていたのでしょう。
その子が無事回復したか、不幸にして亡くなったかの情報もなく、毎日忙しく飛び回っていてほとんど気にもしないで過ぎて行ってしまいました。
その時の写真が2枚残っているだので、思い出せたのですが、タンカは木の棒と布製のにわか作りです。
ドクターヘリ、防災へリの原点で、ヘリがなければ舟で1日かかりで町までかかりますので、ヘリで助かっていたらその少女はすでに50歳近くなっていることでしょう。
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