インドネシア地震、空自C130 スラウェシへ
少し古いニュースですが、空自のC130が6日、地震が起きたインドネシア、スラウェシ島のパルーに着いたようです。
スラウェシは古い呼び名がセレベスでニュースでパルと呼んでいる町はパルーと発音していました。
C130はカリマンタン(昔はボルネオと言った)のバリクパパン(私たちはバリックパパン 略してバリックと呼んでいた)とパルーの空港間を支援物資輸送をするそうです。
私はインドネシアのカリマンタンのバリックパパン空港を運航整備基地とする会社で1980年から1981年に掛けて、ベル206Bジェットレンジャーで約1年飛んでいましたので、悲惨な地震被害の土地ですが大変懐かしく思い出しています。
インドネシアの空港の呼び名も、大阪-伊丹 東京-羽田と言うようにバリックパパンースピンガン パルー-ムチアラとなっていますが、スピンガン、ムチアラなど全国の空港名はインドネシアの偉人の名がつけられていてアメリカなどと同じようです。
当時スラウェシのパルーから100キロほど東のパパヤトと言う場所で日系の会社が木材の切り出しを行っていて、現地で駐在して、調査飛行や資材運搬連絡飛行をし、重整備の時間が来ると基地のバリックへ空輸すると言うフライトをしていました。
この日系木材会社はスラウェシ全域に木材伐採権を持っていて、連絡飛行で全域へ飛び、南はマカッサル、東は今回火山噴火したメナド(日本語の港がなまったと言われる)へ、また2週間ごとのクルーチェンジはゴロンタロ(五郎太郎がなまった)へHS748定期便で移動しヘリが迎える方法で行っていました。
インドネシアでは地震が結構多いという知識で赴任しましたが、まったく地震のニュースは聞いた事がありませんでした。
懐かしい地域のニュースなのですが、あまりに大きい地震被害で大変おどろいています。
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