残して欲しい 古い機体、、、、
世界一周のたびの途中、日本に立ち寄ったスイスの時計メーカーブライトリングのDC3が熊本、岩国、神戸、福島と飛び回っているようです。
6月3日4日はエアーレースの会場を飛んでくれるそうですから、実物を見ることが出来そうです。
日本では戦後、航空禁止の時代があったので、古い機体を飛べる状態で残すことは大変難しいようですが、それ以前に航空界は実用、儲け一点張りで文化が無いようです。
日本で飛ぶゼロ戦はすべて、外国のものですし、日本の航空技術を育てた多くの機体は飛べない屍となって飾られているのはまだいいほうです。
戦後の機体でも、初のジェット機T-1やYS11はぜひとも動態保存して欲しいものですが、航空法上も許されないようです。
ヘリの世界の住民としては、国産と言えるかどうか微妙ですがKH4を残して欲しいものです。
日本のヘリパイロットの大多数がこのヘリで農薬散布した歴史があるので、ぜひとも残して欲しかったのですが、飛べるものはニュージーランドやオーストラリアに輸出され多様です。
自分が始めて空を飛んだのは、高校1年生の時で確か小牧空港から輸送航空団のC46に体験飛行で乗せてもらい、離陸後岐阜基地の周りをまわって小牧まで20分程度の遊覧飛行でした。
そして最後のフライトは豊岡ドクターヘリで2011年の時ですので、50年近く飛び続けたということになります。
エアーレースと言い、古典機のフライトと言い、世界に通用する航空機の開発と言い、なんとなく今一の日本が少し悔しい思いです。
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