憲法とドクターヘリ、、
昨日5月3日は憲法発布70年の記念すべき日だとテレビ新聞で報道していました。
アメリカ占領軍から与えられた憲法を後生大事に一字一句変えることなく70年も守り通してきた日本国民は、世界的に見て大変な希少動物のようです。
軍備を持たないと称して、世界第5位くらいの軍事力を持ち、北朝鮮へ向かう米軍と行動を共にしているのですからなんと言う矛盾なのでしょう。
国の根幹の法、憲法に矛盾するようなことを行なっているのですから、それから下位にある多くの法律の矛盾など、ものともせず日本社会は何とか回っているようですが、やはり法の矛盾によって程度の差こそあれ犠牲を強いられる人々が出ていることは間違いないでしょう。
憲法9条の犠牲者は25万人の自衛隊員であることは間違いなく、もし他国と紛争が起こり、相手国の軍人を殺害した場合で、後に停戦になったら相手国から殺人罪で処罰される可能性があり、旧日本軍の戦犯として処刑された方たちと同等以上の処分をされる恐れがあります。
憲法でさえ大きな矛盾を抱えたまま70年も平気でいる政治家を選ぶ、国民性ですから、ヘリコプターの法制度の矛盾など取るに足らない小さなことでしょう。
救助のヘリはどんな狭い、着陸困難なところへ降りることは許されるし、どれほど危険な空域でも超低空で飛行することは許されています。
許されていると言うことは、無言で強制されていることと同じなのですが、同じことを訓練することは許されていません。
法制度がそうなっているからなのですが、この弊害のために墜落したヘリが今回の長野防災ヘリを含めてほぼ3機以上、犠牲者は15名近くになります。
ヘリコプターのパイロットにとって、低空飛行や狭い場所への着陸の能力は緊急救助時には必須の技術ですが、十分に自由に訓練することを許されていないのに、実際の救助場面ではほぼ強制的にやらされているということが長く続いています。
これは憲法上の自衛隊の扱いと本当に良く似ていて、誰もが矛盾をわかっていながら、現場の犠牲を無視して、改正の努力がなされないと言う日本特有の本音と建前で見過ごされています。
道路の速度制限を守る運転手は一人もいないのに、何の矛盾も感じないのは日本人の特性なのでしょうか
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