東北震災から早5年、、、、
東北で震災の被害にあわれた方々には大変長い5年であったことでしょうけれど、私にとってはあっという間の5年でした。
東北震災の自身が発生した時間は、豊岡病院のドクターヘリ運航管理室で待機中でした。
ヘリコプター運航に理解のない経営陣は勤務中にテレビなど見ることはまかりならんと待機室にはテレビはなく、長いヘリ生活の私はサンヨーのナビゴリラを買って自分の目前において、音を消していつもつけていました。
2時13分に地震が相当ゆれがあり、その後すぐにテレビにテロップが流れ、私の小さなテレビの周りにはドクターナースが取り囲む状態となりテレビに釘付けとなりました。
阪神大震災の経験から私がチーフのフライトドクターに1000人くらい死亡者が出るかもと呟いたところ、1000人ではきかないでしょうと言う答えがあり双方大きな被害を予想したものでした。
夕方まで通常の勤務が終わり、ドクターナースはその後DMAT派遣で自衛隊の輸送機で東北へ向かう段取りで集合場所の阪大へ言ったそうですが、その輸送機ががんぱつ対応の東電の社長を輸送することになり、ちょうど夜の12時にドクターヘリで早朝にに向かうと決まりました。
朝暗いうちに関係者が集合し、少しの食料とお茶をコンビニで買い、いっぱいの医療資機材と6名で夜明けとともに一回目の給油地の名古屋小牧空港へ向け飛び立ちました。
この出動を終えてその年の夏まで勤務し、ヘリを降りましたので、引退して4年半ということになります。
震災があって5年も過ぎたのですが自分にとってはあっという間の5年で、いろいろ起きたことが昨日のように思い出されます。
もう少し年月が過ぎて震災の傷跡が癒えたらまた東北を訪れてみたいと思っています。
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