ヘリコプターから見た中韓の関係、、、
田中角栄総理の電撃訪中で日中は国交を正常化し、両国の関係は劇的に発展し、私がいたヘリ会社、朝日ヘリコプターは中国の渤海湾の石油開発事業に参加することになって、多くの先輩や同僚が出かけていきました。
当時私は確かベル47に乗れる程度でしたので、GPSのない時代オメガやエアーボンレーダ リグ上のNDBなどを駆使し、石油リグを国際間で飛ぶ先輩諸氏を指をくわえてみていただけでした。
それ以前から、日韓は友好関係にあり、日韓大陸棚の石油資源の試掘事業をやっていて、これには朝日ヘリコプターと大韓航空がJVを組んで朝日ヘリのAS330を韓国の済州島や五島列島の福江などから、飛ばしていました。
中国は北朝鮮と、韓国は米軍中心の国連軍と朝鮮戦争を戦って、休戦協定を結ぶことなく休戦状態にあり、
国交は断絶状態で、定期便はおろか、中韓を行き来する航空機などまったくない状態だったそうです。
済州島で、韓国でのフライトに区切りをつけた朝日ヘリのAS330は、当時まったく国交のなかった韓国から中国へ直接、飛ぶなどと言うことは常識では考えられない時代であったようです。
一度福岡空港へ飛んで、入管手続きをし、今度は中国への出国手続きをして飛ぶところ、中国韓国に相談したら直接飛んでも良いとの返事をもらって、直接飛んでいったそうです。
当時新聞か週刊誌に石油開発支援の日本のヘリが韓国から中国へ直接飛んだとという記事が乗り、中韓、歴史的な雪解けかなどと書かれたようです。
今の中韓の反日癒着を見るとき、夢のような時代でした。
しかしながら地球儀や地図を見ると、福岡から済州島は330で1時間程度、福岡、上海での2時間半程度ですので、考えてみれば、戦前の日本のパイロットたちには庭のようなものであったとも言え、政治が世界を遠い存在に区切ってしまっていると言えそうです。
私のT1の初フライトは絶好の好天気、芦屋基地の滑走路30を離陸して、上昇諸元の設定やチェックリストに戸惑って10分ほどまっすぐ飛んだら、2万フィート 、、その後F104 で殉職されたS教官が、前にかすかな島が見えるか、、、ありゃ 韓国だ どこまでまっすぐ行くんだ、、、と、、、、
敵の敵同士が手を組みそうな 日本と北朝鮮,韓国と中国、この波乱はいったいどのような展開を見せるのか、政治家ならずとも大きな不安を持つのですが、それにしても韓国、日本への恨みは1000年忘れないそうですが、中国への恨みは朝鮮戦争から60年ほどすっかり忘れてしまったのでしょうか。
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