龍田古道 ウオーキングと桜の文化、、
昨年10月より奈良県王寺町観光ボランテアガイド養成講座を受講し、3月で一応ガイド講習の終了証書をいただきました。
そして昨日はガイドの見習いとして 龍田古道ウオーキングに参加してきました。
龍田古道 多々良超えと呼ばれる、聖徳太子が斑鳩の里から難波へ行き来するときに使った古道で、今回はその古道に沿って、王寺駅から、龍田大社、三室山を超えて桜の会がボランテアで整備されている里山公園を通過し古代製鉄の由緒ある金山姫神社などを訪問して、JR河内堅上駅まで約15キロの道のりでした。
聖徳太子の時代に、そのご本人が難波と斑鳩を行き来された古道ですから、当時の日本では一番のにぎやかな、あるいは重要な道であったでしょうし、その付近一帯はやはり一番文化的にも産業的にも一番の先進地域であったことでしょう。
前にもブログで取り上げたように、今 三室山という名所はこの地域のほかに、法隆寺の近くの斑鳩町にあると一般的には言われていて、今日通過した地名も三室山という名が残っていて、本家争いがあるようです。
また三郷の駅の近くにある龍田大社が元はこの三室山の上のほうにあったという、石垣や礎石のようなものが残っているほか、御座峰という風の神様が地上に降り立ったという史跡まで残っています。
この地域は古い史跡にあふれる場所なのですが、大阪府柏原市がごみの処理場として使用していた広い場所を埋めて復旧した斜面を桜の一大名所にすべく、ボランテアでがんばっていただいている桜の会というもがあります。
3000本の桜がまだまだ若木なのですが、ボランテアで資金を拠出していただいた方の名前を木に表してありました。
いずれは吉野山に負けない桜の名所にするとがんばっていただいているようです。
武田邦彦先生が名古屋の桜について書いておられますが、私もまったく同じことを考えていました。
日本国中 ありとあらゆるところで春のこの時期に咲き誇る桜の木は、ほとんど自然に生えたものではなく、川の土手や,神社、寺院の境内、学校、公園などに人の手で植えたもので、しかもそのほとんどは誰かが寄付したものか、ボランテアかでしょう。
桜の花が春に咲くことに日本人は誰も国としての豊かさを実感したり、国民の豊かな心を誇ったりはしないでしょう。
しかし少し国の外を見たときに、中国や韓国ような国をはじめ、このようにあっちでもこっちでも花が咲き誇るような国があるでしょうか。
話は少し飛びますが、私が基本的に野球が嫌いなのは、少年野球から中学高校,大学、プロ メジャーリーグと一貫して人より多く金を稼ぐことが目的化していて、NHK はじめ新聞テレビがそれをあおって自らも稼ごうとしていることです。
この野球の根本的な成り立ちは、日本の桜の文化とまったく相容れないもので、それはSTAP細胞で大もうけをして当然だと考える金まみれの日本の腐った文化が女性研究か一人を血祭りに上げていることと合い通じると思います。
日本では大昔から桜を多く植えて、名所を作って入園料を取って稼いでやろうなどという人間はいなかったようです。
それが日本というものでしょう。
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