ドクターヘリ 空中分娩も、、


 
 
 
 ドクターヘリが対応する患者さんの症例は主に、重症外傷 心疾患 脳疾患などが中心となり、救急医が対応することがほとんどです。
 
 今回の上記のニュースのように救急医だけでは対応できないような事例も多く出てきます。
 
 これはニュースにもあるように地方、過疎地の病院で診療科の減少などで十分い対応できないことが起こり、遠距離緊急の搬送が出てくるということの現われでしょう。
 
 私もドクターヘリで5年ほど飛びましたが、切迫流産の危険性がある妊婦さんや、心臓に異常がある新生児を生まれたその日にはんそうしたり、果ては雪深い山中の山寺で精神疾患で暴れる外人さんを搬送したり、通常の救急医療外の患者さんもかなり運んだものでした。
 
 このような事例ではドクターヘリが配置された総合病院の他科のドクターや搬送依頼元の担当医のかたたちのドクターヘリへの搭乗を行っていました。
 
 フライトドクターとこのようなドクター2名の搭乗で、患者yさんのケアーを十分に行って搬送する体制を普段から取れるようになるとドクターヘリがより有効になるという事例です。
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日本未来の党 発足、、、

 

 
 
 滋賀県知事 嘉田由紀子さんが卒原発を掲げて政党日本太陽の党を立ち上げました。
 
 13もの政党が乱立する中で、完全に原発廃止を掲げる政党は少なくて、国民の中にある原発アレルギーの鬱積したエネルギーを吸収して結構 票を取るかもしれません。
 
 ただバックに小沢一郎が隠れているところが欠点で、小沢嫌いの国民も多いので少し複雑なところです。
 
 自分は過去に仕事で原発からみの送電線工事や、送電線の維持管理にヘリコプターで参加した経験や、東北大震災以降のさまざまな報道、情報で日本は原発をやめるべきだと思っています。
 
 その第一の理由はニュース報道だけでもよくわかる、原発を推進してきた技術者や、政府、電力会社などの人々にまったく潔さがなく、責任のがれや不誠実があまりにもひどいという点です。
 
 中部電力の課長が原発事故で一人として死んでいないから事故ではないと発言したことがこのことを如実に物語っています。
 
 技術は人間が扱うものですから、どんなすばらしい技術でも扱う人間がだめなら、だめだということが大前提です。
 
 2番目に原発をやめたら、火力だけでは電気が足りないまた、火力燃料に5兆円も余分に必要だという意見があるという件ですが、地震後1週間後にIAEAから発表されたレポートで日本では電力不足は起こりえないということが発表されています。
 
 このことは日本ではほとんど報道されていませんが、少しでも日本の連力事情を知っているものには常識で、日本の日本の火力発電設備の稼働率は30%でしかなく、40%か50%まで稼働率を上げれば総電力は足りてしまいます。
 
 3番目の理由は日本は世界でも最大の自然災害発生国だということです。 地震初め自然災害がほとんどないアメリカやフランスで開発された原発を、日本の自然災害に十分対応できるような改良のすることなく使うことは、いかに危険か今回の福島事故で十分に立証されていますが、そのことを隠し続けていい加減な状態で運転してきたことへの反省が非常に足りないように見受けます。
 
 明治天皇が万機公論に決すべきといわれたことをまもり、原発の今後は国民の総意で決めることが大切だと思いますが、今の決定のプロセスにはあまりにも不誠実な勢力が多すぎて将来が心配です。
 
 最近東京電力の電力使用率が急な冷え込みで90%超え、他電力からの応援でやっと凌いだということで、国民の洗脳を行っていますが、そもそも電力使用率の分母となる当日の発電可能量は、東電が当日発電する施設を自分で決め、その合計を言っていますが、東電が持つ発電設備の発電可能量ではないことは明らかです、
 
 原発をどうしても守りたい人たちはどんな情報操作も平気だという証明なのですが、マスコミから政府その他、このような不誠実な情報操作で原発死守するようでは、まったく信用できないということになります。
 
 いまテレビのニュースで電力値上げのニュースが出ていますが、広大な面積で、コスト的に供給が不利なアメリカで電力料金が日本の半分だそうですので、原発代替の火力の燃料代程度はすぐに吸収できるような改革はすぐにでもできないはずがありません。
 
 とは言うものの、小沢が後ろに隠れる、ちょっと怪しい嘉田知事の未来の党は、、、、、、、、どうなんでしょうね、
 
 
 
 

北海道で大停電、、、

 

 
 
 時期はずれの暴風雪で北海道電力の送電線鉄塔が倒れて、送電が止まり、登別や室蘭で最大40000戸が停電し、2日たっても8000戸以上が停電しているそうです。
 
 今回の停電は電力不足ではなく、自然災害による停電で、あまり文句が言えない状況ですが2日以上も復旧が出来ないとなると、寒い中の住民の方たちの不便も大変でしょう。
 
 送電線鉄塔の風に対する強度は最大風速60メートルに耐えるように設計されていて、今回の付近の最大風速40メートル程度では倒壊することはありえません。
 
 送電線自体に対する着雪が強風に対する、風圧の増大が鉄塔の強度を超えたということも考えられますが、北海道電力は送電線に付着した雪が落下したときの線の跳ね上がりで、下の線が上の線に接触して、ショウトしそのときに電線が切れて、張力のバランスが失われて倒壊したと説明したそうです。
 
 通常はこのようにはねた線が上部の線に接触しにくいように、鉄塔の線を支持するアームの長さを下の線ほど外側へ上の線ほどアームを短くしてありますので、この説明では少し説得力がありません。
 
 自分が関西電力のヘリを飛ばしていた当時、着雪による線のショウトは、線が強い吹雪の横風を着氷が起きやすい比較的0度に近い暖かい気温の時に起こり、線ついた雪は横風によって、航空機の翼方に近い断面になって、線が円周上に飛び回って何回も線同士がぶつかるような現象が起きるそうです。
 
 北海道電力は気温が低すぎるので同種の事故の経験がなかったのかもしれません。
 
 
 この停電のニュースが流れている中、送電線工事会社の談合疑惑が報道されています。
 
 工事の談合は違法ではありますが、過当競争で協力業者の体力がそがれ、熟練技術者いなくなってしまうと今回のような緊急の事故復旧の作業はほとんど出来ないことになってしまいかねません。
 
 それでなくても、山間部、高所、の3K 5K の職場の技術レベルの維持は出来なくなっていて、その昔ヘリで鉄塔工事をした業者の人たちはほとんどいなくなってしまったそうです。
 

 中国 航空母艦 離着艦に成功か、、、

 
 

 
 中国がロシアから買ったスクラップ空母の実用化に向けて、戦闘機の離着艦に成功した動画を公開しました。
 
 日米の専門家に拠ると離着艦の実施丹はまだ2,3年はかかるという風に見ていたとのことで、衝撃だそうです。
 
 以前の情報によると中国は着艦した航空機を制動する、ワイヤーを製造することが出来なく、またどこの国からも適当なものを売ってもらえないので、離着艦はまだせううねんさきであろうと読んでいたようですが予想は、見事に外れました。
 
 又着陸した戦闘機はロシア製をコピーしたもののようですがそれにしてもロシアから十分な協力を得られない中良く開発したものです。
 
 この戦闘機を開発した責任者がこの実験中に心筋梗塞で倒れて死んだそうですがなにやら怪しいことが絡んでいるのでしょうか。
 
 着艦の動画を見ると非常にうまく スムースな着陸をしています。中国一の腕を持つ戦闘機乗りがあらかじめ地上の飛行場で十分なシュミレーション着陸の訓練を重ね、空母でも何回もタッチアンドゴの訓練を重ねたのでしょう。
 
 この動画を見て少し疑問があるのは、離着艦の様子は非常に良く捕らえているのですが、空母上その他写っている、兵士や人の数があまりにも少ないことが非常に気になります。
 
 中国がこのように開発の状態を世界に知らしめるということは、沖縄に配備されたオスプレイのことが頭から離れないのでしょう。
 
 この空母が実戦配備されると、東シナ海は風雲急を告げるのでしょうか。

 オスプレイその後、、、

 

 
 
 導入に際してあれほどマスコミでさわがれたオスプレイも、最近は静かなもので、あの導入の騒ぎは一体なんだったのかと言う思いでした。
 
 ここへきて少し又ニュースで取り上げられていますので今日はそのことを書いてみます。
 
 旅客機など普通の民間航空機と違い、軍用機は自衛隊機、米軍とわず、また戦闘機、輸送機、ヘリコプターなど機種をとわず、低空での作戦が絶対に必要ですので、在日米軍に在ってはカラーで名つけたルートを5本ほど決めていて、このルートを使って低空で山間部を飛行する訓練を定期的に行っています。
 
 もちろん自衛隊の航空機をこれとは違ったルートを設定して、定期的に低空で訓練していることは間違いないでしょう。
 
 レーダーの補足をのがれて低空で進攻したり、帰還する訓練は軍用機にとっては必須の訓練であり、訓練においても、相当な危険性があるので、ルートを定めて、送電線や高い構築物などの障害物の情報をあらかじめ熟知しているルートを使っているのでしょう。
 
 行き当たりばったりで任意のルートを同じように低空で飛ぶことは、実戦では行うでしょうが、熟れた空域を使って安全に訓練をし、練度を上げるために、いつも同じルートを飛ぶということにしていることでしょう。
 
 このルート設定に当たっている地域の住民のかたたちにとっては大変迷惑なことでしょうが、どこかにはこのルートを設定する必要がありますし、自衛隊も同じようにどこかで同じ訓練をしていることでしょう。
 
 たぶんこのルートの設定は戦後米軍が日本に進駐してきた直後から行われていたのではないでしょうか。
 
 同じように夜間の運航も軍の航空機の訓練には絶対に欠かせない訓練です。
 
 紛争、戦争は昼夜を問わず起こりえますので、夜だから飛ばないと言うことはありえません、周りの住民や日本国民が寝ていて、うるさいから、有事だけれども飛ばないで良いと言うことはありえないでしょう。
 
 オスプレイが普天間へ展開してから報道されている、低空飛行の苦情、夜間飛行の苦情、騒音の苦情などはほとんどオスプレイが問題と言うよりは米軍機が問題と言う部類のもので、一部モード変換の位置の問題など運航のマニュアルにまでかかわるようなことも取り上げていますが、ここまで規制するには、簡単な苦情ではなくこの特殊な航空機の複雑な成り立ちにまで及び、何が一体安全なのかと言うことに真にかかわるとなると、結局はオスプレイは出て行けという、簡単至極な結論となるでしょう。
 
 それでは初めから議論はかみ合っていないので話すだけ無駄と言うものでしょう。
 
 一部 防災ヘリやドクターヘリが飛ぶから予告なしに飛ばれたら危険性があると、某県の職員の発言が報道されていましたが、これも同じような議論です。
 
 オスプレイは山間部低空で250ノット程度で飛び、ヘリの2倍の速度ですので、どちらが回避操作をすることが有効かといえば、もちろん速度が速いほうが回避する必要があります。
 
 となると、どちらが相手の運航の情報をより知っていたほうが有効かとというと、もちろんオスプレイのパイロットのほうでしょう。
 
 ならばドクターヘリが飛んだら、県は米軍に通知するべきでしょう。 平等と言うなら双方がするべきでしょうが、軍は情報を開示しないということもありえるでしょうから、やはり県は米軍に通報するべきでしょう。
 
 とにかく米軍機が飛ぶことがそれほどいやなら、やはり国土防衛、東アジアの安定維持は、自力、自主防衛で行い米軍には出て行ってもらうしかないでしょう。

広島へリポート、、、

 

 
 
 
 
 業界を離れていると情報に疎くなって、広島西飛行場がヘリポートとして再出発していることを知りませんでした。
 
 昨日の記事への読者のかたの書き込みで知った次第です。
 
 いずれへリポートになるとは知っていましたが、やっとと言う感じで、長い年月がかかったものです。
 
 私がこの飛行場で勤務しだしたのは確か49歳の時だったと思いますからすでに15年近く過ぎていますが、当時から飛行場をどうするかと言う問題が常に新聞などをにぎわしていました。
 
 この飛行場があまりにも手狭なため、遥かはなれた場所へ新空港へ造ったのですが、市内の空港と比較してあまりにも時間がかかりすぎ、市民の中には朝夕の東京便の復活を望む声も多く在りました。
 
 空港のすぐ北側に、広島南道路と言う、バイパスが建設されることがすでに決まっていて、大田川をまたぐ部分を高架にすると飛行場のファイナルアプローチにかかり、飛行場は廃止、、地下トンネルにすると建設費が3倍もかかると言うことでなかなか決まらない状態が長く続いていました。
 
 南道路はこの大田川をまたぐ部分だけ残して早くから完成していて、公共事業と言うものは本当に長くかかるもので、決められない言うことがいかに無駄が多いかと言うことの実例だったような気がします。
 
 今回のヘリポートの開業で、ドクターヘリの施設を1億円の予算で建設し、ヘリとともに医師看護師の待機場所を造るということが予定されているそうですが、本当に無駄な設備となるでしょう。
 
 ドクターヘリは救急病院など医療施設に常駐し、出動時と患者収容時の迅速性が決め手ですので、いずれこのようなものはいらなくなることは目に見えています。
 
 またを病院にヘリポーを設置できない見込みなら、広島市内の病院はあきらめて、他の病院に」ヘリを設置するべきで、ここに1億円を使ったことで、この施設のこだわることが適切なドクターヘリの運航の妨げになることは明らかでしょう。
 
 このような中途半端な運航をよしとするのは、広島市消防のヘリをドクターヘリ的運航に長く使ったため、ドクターヘリとは何かと言うことを良く理解できていないようにも考えられます。
 
 病院にいないドクターヘリはドクターヘリではありません。

 中国各県 1月にドクターヘリ協定、、

 

 
 
 
 ニュースに拠ると中国地方各県の知事が集まった会議で、ドクターヘリの広域運用の協定を1月に結ぶことになったそうです。
 
 中国地方の各県のドクターヘリの配備状況は広島県が来年度に運航開始すればすべての県がそろうことになります。
 
 岡山県が先進県で倉敷の川崎医科大病院が千葉県の日本以下大学病院とほぼ同時期に、日本で初の導入運航開始が10年ほど前でした。
 
 その後はずっと導入の動きはなく、下って2年半ほど前に鳥取県が京都兵庫との共同運航を始め、ついで島根、山口と導入されました。
 
 広島県は広島市消防ヘリがドクターヘリ的運航をしていた関係もあってドクターヘリの導入としては一番遅れてしまい、来年度ということになっています。
 
 しかもドクターヘリとしては致命的な条件、ヘリが病院に常駐できないという欠陥を抱えての運航開始となるようです。
 
 病院にヘリがいないというだけで、ドクターナースをヘリに乗せるまでに15分程度はかかってしまい、それだけで初動時間が絶対条件の救命効果に影響が出てしまいます。
 
 鹿児島県も同じ欠陥を抱えていますのでこの点の改善は絶対に早くするべきでしょう。
 
 後は共同運航で行ってる鳥取県は同じように他県の兵庫県豊岡から飛んでくるので、鳥取県に入るまでにすでに20分のロスタイムが発生してからの現場急行となっています。
 
 これでは時間的な条件は広島と同じと言うことになりますので、これも早急に改善して自県のヘリを鳥取か米子に配置するべきでしょう。
 
 このような改善がなされて初めて対等な広域運用協定の条件が整うこととなりますが、協定の内容としてどのようなことが必要でしょうか。
 
 まずは費用負担の件についても協議するということを言っているようですが、お互いにドクターヘリを持っていて、国家の補助率75%で運航するのですから、他県へ応援出動した場合に1件数十万円支払うというようなこととなるのでしょうか。
 
 奈良県は大阪府に1件当たり、60万も支払えという前知事 橋下 徹の横暴で、出動依頼元の奈良県の現場ではヘリ要件の救命事案の発生にもかかわらず、出動依頼をためらうという傾向が出ている可能性があります。
 
 支払いの金額の高額なこともさることながら、出動依頼ごとに書類を起こして、出動の適否についての各級の承認を得るなどの余分なハードルがあることにためらいの原因がありそうです。
 
 こんな事案になぜ大阪のドクターヘリを呼んだということを詰問される恐れがありますが、どんな重症でヘリかなと思っても通常どおりに救急車で搬送すれば誰からもなにも言われないで済むなら、わざわざヘリを呼ぶことはないと判断される可能性があります。
 
 もう1件考えられるより良い協定の内容ですが、通常の出動に際して、県境を優先するか、患者さんの初期治療までの所要時間を優先するかと言う件です。
 
 ドクターヘリはあくまでも救急患者さんの救命のため、初期治療までの時間の短縮と最適な病院への搬送で、救命効果を挙げ後遺症の軽減を図ることですから答えはおのずから出ているといえますが役所がこれを果たして優先できるかどうかと言うことでしょう。
 
 福山市のはずれで発生した救急事案では広島のドクターヘリが出動するとなると、ドクターの乗り込みまで15分飛行時間が30分計45分でやっと患者さんの元へ到着しますが、岡山県のドクターヘリが倉敷から飛んでくると20分以内に到着します。
 
 どちらが飛ぶかでドクターヘリが患者さんのためのへりか、お役所のためのへりか良くわかるというものです。

 実際の農薬散布は、、、、

 

 
 
 昨日はどんな農薬を散布してきたかを書いてみましたが、今日はどのようにして散布するのかという話です。
 
 撒布幅といって、ヘリから放出されたさまざまな形態の農薬が、横幅どのくらい飛ぶかということが撒布の効率を決定します。
 
 ヘリが飛ぶ速度によって、吹き降ろしの風がどのように変化するかということが、同時に薬がこの吹き降ろしの風に巻き込まれながら地面、農作物へとたたきつけられて、作物植物の葉などに満遍なく付着します。
 
 葉の裏側まで均等に付着するにはこのヘリの吹き降ろしの風が直接地面に当たる高度、そして高速では吹き下ろしは低空飛行であっても十分に地面に当たらないで拡散してしまうということが起こります。
 
 農薬撒布は別名、空中散布と呼ばれてきましたが、実は空中に撒布するのではなく、地面にたたきつけて確実に作物に農薬を付着させるとことが重要でした。
 
 日本の水田への航空機による農薬散布が地形が入り組んでいるという制約から、固定翼機ではなくヘリコプターが使用されたことが、農薬をより確実に決められた地域に撒布できるという効果もあったのでした。
 
 ですからヘリコプターといえども一定以下の高度、速度で、基準を守って飛ぶことが、均一な農薬のかかり具合を得るための基本的な飛び方でありました。
 
 おおむね細かい粒子の農薬ほど高度を低く、より粗い粒子の場合はやや高い高度での撒布という風に、8メートルから12メートルと決められていました。
 
 速度は農薬の剤種によらず、ほぼ一定の50キロ30マイルと決められて決められていたようです。
 
 この速度で飛ぶと無風の場合、農薬は50メートル幅程度まで広がるのですが、有効撒布幅を20メートル程度として決め、その幅で折り返し飛んで、オーバーラップして撒き、均一に、しかも撒き漏れがないような飛び方としていました。
 
 幅20メートルで60キロで1分飛ぶと1000メートル×20メートル=2Haとなります。 つまり、ほぼ一分間に2ヘクタールですからヘクタールあたり1リットルの微量撒布 原体撒布ですと1分間に農薬は2リットル吐出するような設定で飛ぶことになります。
 
 1日あたりの作業量は200ヘクタールから300ヘクタールでしたので、一日の飛行時間は100分から150分の農薬の吐出時間と準備の偵察飛行、そして薬を出さないターンする時間、現場を見る時間などで2時間30分から4時間というところでした。
 
 これの一日の作業で売上高としては1ヘクタール3000円から4000円でしたので60万円から120万円というところでしたので、へり1時間飛行あたりでは25万から35万程度にはなっていたと思います。
 
 パイロットとしてはその日与えられた200から300ヘクタールの地域をいかに無駄なく撒布時間を守って、ターンや調査などの吐出時間以外の時間を出来るだけ無駄なく飛んで、飛行時間をかけないで、安全に、しかも均一に撒布するかという非常に奥の深い作業でありました。
 
 撒布の出来にあまりにも気を取られていると、隠れた線に引っかかって墜落という非常にリスキーな仕事でもありました。
 
 、

 農薬散布 どのような薬剤を撒布してきたか、、、

 

 
 
 昭和30年代に始まったヘリコプターによる農薬散布事業は、農家の方が肩に背負った噴霧器などで撒布していた農薬をヘリコプターに装備した特別な機材に積み込んで行う事となりました。
 
 農薬は時代とともに、その形態が変わり、ヘリもそれにともなって新たに開発した撒布装置によって対応することで、要望にこたえてきた歴史があります。
 
 最近 無人ヘリが実機の市場を奪ってしまったのはそのことも大いに影響があったのです。
 
 農薬は粉剤 小麦粉のような粉状のもの、 粒剤と呼ばれる撒布地域から飛散しにくい粒のやや大きいもの、野鼠退治用の直径が5ミリ近くもある粒状のもの、そして液体はその濃度からスプレーと呼んでいた100メートル四方、1ヘクタール当たり60リットルから30リットルも撒布する、希釈したもの、原体撒布、微量撒布と呼ばれる農薬の原液を1ヘクタール当たり約1リットルとごく微量撒布するもの、それとこの中間の濃度のものを撒く少量撒布と呼ばれるものなどがありました。
 
 搭載量できわめて非力な、無人のラジコンヘリが農薬散布の実用化が出来たのはこの中の微量撒布と呼ばれる1ヘクタールあたり1リットル程度を撒布する手法が一般化していたからこそ、可能となったといえるでしょう。
 
 濃度の濃い農薬を撒布するのは、一定の面積に均等に撒布することがやや難しいことと、その濃度から農薬の毒性が強烈ですので、人体への影響や、取り扱い管理の難しさから、農家の方は1000倍以上とかに希釈して撒布していましたが、ヘリコプターの機動性を生かしていっせいに均一に撒布できることから原液での撒布が始まったのでしょう。
 
 微量撒布でへりで撒布していると、撒布装置から農薬が出て行く様子はほとんど見えないほどの細かい粒子で、ヘリの後方を見てもどこに薬がかかったかわからないほどで、想定した航跡を守って速度を保って飛ぶしかありません。
 
 撒布した農薬が正確に水田の隅々までかかっているかどうかは、あらかじめ各農家に、配って当日朝早くからおかれていたであろう、試験紙を回収して、サンプル紙との比較ですべてわかるようになっています。
 
 すべての試験紙を回収して、良くかかっていないところは、作業終了前に再撒布となり、パイロットは試験の成績発表で追試を受けるかどうかのような気持ちで、試験紙の照合を見守ったものでした。
 
 粉剤や粒剤 スプレー撒布などは撒布機から出てゆく薬が良く見えますので、比較的自分の出した薬がどこへ飛んでいって水田に落ちるか結構見えましたので、気分的にはやりやすい作業でした。
 
 農薬散布作業はいろいろなことがあって結構奥深く、やりがいのある仕事でした。

無人機に取って代わられた農薬撒布ヘリ、、


 

 
 
 
 

 
 
 

 
 
 昭和30年代 食糧増産の掛け声とともにはじまったヘリコプターによる水田への農薬散布作業は最盛期250機ものヘリが主に東日本の農村を飛んでいました。
 
 もちろんヘリの購入からパイロットの養成まですべてが国家の補助金事業として、大々的に実施され、水田耕作のうちでも真夏の一番厳しい作業から農家の働き手を解放し、都会地への出稼ぎを可能とし、国力の発展に大いに貢献したようです。
 
 この事業のおかげで日本の民間のヘリ業界は経済的にも技術的にもその基盤を築くことが出来ました。
 
 パイロットの操縦技術上の鍛錬経験にも、大いに貢献したのは、飛行経験の少ないうちから超低空で、電線の張り巡らされ、規模の小さなさまざまな形をした複雑な農地へ均一に農薬を撒布するという、高等な技術と大きな危険性のともなうフライトを強制された事情があります。
 
 若いころ、この事業に参加させていただいたおかげで、東日本のほとんどの県の水田地帯を10メートルの高度で飛び回るという、買っても出来ないような体験を得ることが出来、その後はどこをどのような低空でも飛べるほどの自信がついたものでした。
 
 1990年ころからこの事業は徐々に無人ヘリに取って代わられて、今や2000機も飛んでいるようです。
 
 無人機の技術革新はすばらしく、農薬散布はほとんどすべて取って代わられてしまいました。その後は送電線パトロールや空中撮影など一部実用化したようですが、全体的には少し足ふみ状態と言うところでしょうか。
 
 しかし、今年の航空宇宙展には無人機のメーカー ヒロボーが一人乗りの有人ヘリを発表していましたので、日本の実機メーカーも油断が出来ないようです。
プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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