ドクターヘリパイロット奮闘記 終了の御挨拶、、、、、、、、



(この写真は愛用の1万円のデジカメで取ったドクターヘリの写真の中でも一番良い出来でした。新聞その他に多く使われていますのでまたほかで見る機会があるかもしれません)


 3年近く 見ず知らずの多くの方々からの暖かいご支援で続けることが出来ましたこのブログは本日で終了といたします。

3月末の定年以降、ドクターヘリパイロット職の継続か、このブログの継続かどちらかを選択しないければならない立場となりましたので、ブログは終了することといたしました。

思えばよく持ったものでした。

懇意にしていただいた、某テレビ局報道部長さんよりご心配していただいたとおりの結末になるようです。

自分がこのブログで訴えてきたことは多数ありましたが、ひとつだけ自負していることは、業界や関係者が目論んでいた、ドクターヘリの夜間飛行に安易の踏み込むことなく、今も昼間のみにとどまっていることです。

ドクターヘリの夜間飛行に際しては、クリアーすべき問題点が多くありすぎて非常に事故の危険性が高いのですが、、業界の安易な競争姿勢のために、一箇所が始めると雪崩を打ってはじめそうな雰囲気でした。

http://mach.air-nifty.com/kazetan/2007/08/index.html

このホームページの2007年8月12日の分は自分がこのブログを始めた当時アップしていただいたもので、大変高く評価をいただいて、その後のブログの継続に大きな励ましとなりました。

ブログをはじめた目的もほぼ達成できました。

また自分が飛んだヘリコプターの世界は航空の分野でもかなり特殊な世界で、親の後をついでヘリパイロットになるものはきわめて例が少ないと書いたことがありました。

まったくの私事ですが、一昨日孫が陸上自衛隊の高等工科学校に運よく合格しました。この学校は本年まで少年工科学校と呼ばれている制度で陸自のヘリパイロットのソースとしては最大であるようです。
後は孫に託すと言うことでここで筆をおくことにいたします。

定年後に計画で、自分がヘリコプターで着陸した全国の野山をキャンピングカーでめぐることを目論んでいますが、その機会に楽しいヘリコプターの事やドクターヘリのことを小中学生相手にお話をする機会があればなお楽しいなと思ったりもします。

長期間のご愛読ありがとうございました。

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 企業の本当の体力、、、、、



 経済状態の浮き沈みで、企業の業績が翻弄される中、自らの仕出かした失敗が更なる業績の低下を加速するのではないかという、重大な危機に、超優良企業トヨタははまってしまったように見受けます。

 昨日のトヨタの創業者若手社長は直接出向いて、賭けに出たような、米国公聴会の様子でした。

 この結果が凶と出るか吉と出るかは今後の動きを見てみないとわからないような微妙なものでしたので、ある意味では一応の成功だったと言えるでしょう。

 企業の強さというものは、最大のピンチにたったときの対応を、経営者と従業員が気持ちをひとつにして乗り切ろうというようになったときに初めて出てくるものでしょう。

 いまのJALの様子を見ているとどうやら、その体力の回復はかなり先になるか、下手をすると消えていってしまいそうな予感がするほど頼りなくて、中からの力強い息吹きが聞こえてこないのが気になります。

 ヘリコプターは電力会社やNTT(電電公社)などにとってはある意味、自然災害時、企業運営がピンチになったときの、ひとつのツールとして、保険のような存在で、年間を通して、抱えていただいていました。いまも抱えていただいてはいるようですが、昔のようにはヘリに依存する程度は極端に減り、新日本ヘリの新人操縦士が自分が守るはずの送電線にぶつかって墜落するほどの、頻度でしか飛べなくなってしまっています。

 たとえば、お世話になった関西電力の危機は、阪神大震災、2800億円 黒部渓谷の大水害700億円、自然災害ではありませんが高浜原発のトラブルでは7000億円の損害を受けるピンチに見舞われています。

 このようなピンチではその日のうちに社内全部に経費削減指令が出るなど、経済的にも大きなピンチで、その中でヘリコプターを最大限に使っての復旧作業などに従事させていただきました。

 原発のトラブルでなぜヘリを使うかという疑問があるでしょうが、発電量が大きい原発が緊急停止をすると、他の原発は止めることは出来なくなるので、その系統の送電線に大きな負担がかかり、通常以上の保守、パトロール、異常発生時の緊急パトロールなど、一般の皆さんが知らないところでヘリコプターは飛び回ったものでした。

 企業は大きくなるほど公共性が高くなって、恥ずかしい失敗や、間違いがあるとマスコミから大きくたたかれるだけでなく、適切、迅速な復旧姿勢を見せてそれを実行することが求められます。

 社会に長く存在している企業の力はピンチの時こそ、また経営者、従業員の底力はピンチが大きければ大きいほど、厳しく試されるというものでしょう。

 ヘリのパイロットもまったく同じです。快晴無風のときに、のほほんと飛んでいるときは誰でもどうということはありませんが、1年365日、時間や天候を選ぶことなくいきなり飛び立つドクターヘリは、厳しい条件となった時こそ、その力が試されるというものでしょう。

 超優良企業、トヨタは今まさに試されています。
 

 民間版 ドクターヘリの今後は、、、、、


 昨日の産経新聞にドクターヘリMESHとして沖縄の民間救急ヘリのことが大きく取れ上げられていました。

 NPO法人として寄付金を集めてドクターヘリを飛ばそうというスイスの例に倣ったものを実際に運航している組織です。

 場所は沖縄本島の北部地区の医師会病院が始めたものの、資金難で運航休止に追い込まれていたものを、支援するNPO 法人として設置されたそうです。

 日本の民間救急ヘリとしては福岡県の和白病院が運航するヘリとMESHが運航するヘリと2機存在しますが、21機運航している公的費用で飛ぶドクターヘリとはその数において大きく遅れを取っているといえるでしょう。

 民間の救急ヘリと公的なドクターヘリは何がどのように違いがあるのか、一般の方はあまりご存じないと思いますので、ここで取り上げてみます。

 まず運航費用が100%公的な税金でまかなわれるドクターヘリに対して、民間版は病院が負担したり、寄付金でまかなうことで運航していますので、税金公的資金の補助はまったく無いといえます。

 公的資金で飛ぶドクターヘリは、運航基準が明確に決めてあって、その基準はおおむね、患者さんがドクターヘリの運航でのみ救命されるような重症であることが条件となっています。

 これに対して、民間救急ヘリは生命の危険がない場合でも、長距離搬送や離島搬送、そして場合によっては、下り搬送と呼ばれる、一定の回復があった患者さんを地元の病院に送り返す場合など、担当ドクターや運航する病院が自由に飛ばすことが出来ます。

 このようにヘリが出動する要件がドクターヘリはより救命に重点を置いているのに対して、民間版はやや医療サービスの一環としても飛ぶという違いがありますので、ドクターヘリは航空法上の任意の場所に離着陸できることや低空飛行の制限を受けないことなど、かなり自由に飛ぶことが許されていますが、民間版ドクターヘリは、他のヘリコプターと同じような事前許可申請、そして許可の下に離着陸するという制限を受けています。

 もうひとつ大きな違いは、ドクターヘリは公的機関、県や病院との契約に基づいて、運送事業(バスやタクシーとおなじ)として運航することを厚生省は決めましたが、民間版ドクターヘリは、病院が自ら、ヘリコプターを所有するかリースするなどして、パイロットや整備士を雇用して、自家用機として運航することが可能であるということがあります。

 自家用車と事業用車とのちがいと同じように航空機が整備上の規制や、パイロットや整備士の資格経歴などの制限もほとんど受けないために、比較的少ない経費で運航することが出来ますが、安全性の規制もあまり受けないので自己責任となります。

 救急患者さんの総数や偏在を見るとき、民間版ドクターヘリによる患者搬送や、患者搬送用固定翼機による長距離搬送の需要は、ドクターヘリの救命需要と同様に一定の量が見込めると思いますが、日本の航空法(ヘリコプターがどこにでも着陸できない)や航空の高コストの影響でそのマーケットは表に出てこないようです。

 救急ヘリが運送事業であると言う捉え方は日本の航空行政が定期便至上主義から派生した、捕らえ方で、ドクターヘリをはじめすべての救急用航空機、患者搬送の航空機などは、すべて救急用自家用運航の範疇での新しい規定類の元で運航するべきだと思います。

 そのような新しい考え方の元で、医療用航空機を飛ばすことをしない限りは、ドクターヘリや民間版ドクターヘリ、医療用固定翼機が国民の期待に十分に応えうるような時代は来ないかもしれません。

 広告費 ネットが新聞を抜く、ネット以外すべて右肩下がり、、、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100222-00000560-san-bus_all

電通の調べによると、日本の広告費が前年比11,5%減で5兆9千億円、しかもネット以外の広告費はすべて右肩下がりで、新聞はついにネットに抜かれたそうです。

昨日取り上げた、取材用航空機の今後の成り行きもこの広告費が大きく影響を与えていて、いままでのようなある意味、贅沢な航空機装備、人員を抱えていけるかという難しい問題に直面しそうです。

新聞とテレビは、航空取材の素材を使うことに向いていたので、航空機による取材体制と最新機材の発展があったのですが、このシステムのコストが全体の広告費の低下で支えられなくなってきているということでしょう。

全体的な広告費が最盛期よりも落ち込んでいるかというと、ネットの部分の増加が他の減少分をカバーしているようですので、それほどは落ち込んではいないということが言えると思います。

テレビの広告費は経済状態にまともに影響を受けるようですので、トヨタなどの超巨大企業が今回のような、大きなリコール問題などで業績が急降下するとまともにその影響を受けることになりそうです。

地方の経済状況の悪化で地方のテレビ局、地方新聞の業績も大きく落ち込んでいるようですのでこの影響もタダではすまないような状況でしょう。

来年度に迫ったテレビのデジタル化はこのような右肩下がりの業績の悪化を一発逆転という思いで進められてきたのでしょうが、システムの変更にいる巨額な資金に見合う、広告収入などの増収が思うほど見込めないので逆に足を引っ張るのではないでしょうか。

いまカナダで行われている冬季オリンピックも日本選手の活躍ぶり、メダルの数、などどれを見ても国民の目を釘づけにするほどの盛り上がりがないということも、大いに広告収入などの点で野影響は大きいようですし、サッカーワールドカップも日本代表の最近の試合振りを見るとあまり大きな望みはなさそうです。

やはり人口減少というすでに決まってしまっている未来に向けては、すべてのことに。身の丈にあった社会システムを再構築していくように構え、間違っても昔の夢をもう一度、将来は大発展だなどという考えは捨てるべきなのではないでしょうか。

民間ヘリコプターの世界も1200機も登録され飛んでいた時代から、いまはその半分程度まで減ってしまっていますが、そのなかで社会に必要なフライトを安全確実にこなせる体制をじっと我慢強く守っていくことが大切でしょう。

   

 報道取材用航空機の現状と将来像は、、、


 発展の一途をたどってきたテレビ局や新聞社の報道取材用の航空機がピークを過ぎて、いよいよ減速姿勢に入るのではないかということがちらほら出てきました。

 テレビ局の取材用ヘリは、ベル47の16ミリのムービイカメラ時代からベル206BになってENGから生中継機材が使えるようになり、さらに350Bへと大型化しました。その後は安全性向上のためにエンジン双発可に進みAS355が飛んでいました。そして3トン以上の中型ヘリにハイビジョン生中継の機材へと進んで現在にいたっています。

 地方局もほほENG生中継が可能なヘリが配備されて全国をくまなく網羅していますが、ここへ来てテレビ業界の売り上げ低下、利益の低下の波に洗われて、いよいよヘリコプターの経費をどのように削るかという時代に入っているようです。

 新聞社も同様に各社長距離取材用のジェット機と双発ヘリを全国に展開していますが、いよいよ高い航空取材の経費に耐えかねるような時代が来たようです。

 大手新聞社がジェット機を手放したとか、あるいはヘリの取材を他の通信社と共同にするというような話が起きているようです。

 このような航空取材の機材の高級化は、戦後の昭和から平成にかけて起こった大災害や、大事故 、大事件のたびごとに航空取材の効果というものがめざましいものがあり、どんどん経費を突っ込んで、大型化、電子化、高性能化に驀進し、世界でも有数の取材体制が整ったのでしょう。

 大災害 大事故、大事件に流されたニュース映像の中でも、国民の目に焼きついたものはほとんどが航空取材による映像であったように記憶しています。

 現在までの航空取材は費用対効果という捉え方でみると、かなりの良い成績であったように思いますが、いかにせんその出番があまりにも、不定期的で、場所もどこであるかわからなく、いまのような経済状態の沈んだ時代にあってはいつまでも高い経費をかけているわけにもいかなくなってきているのでしょう。

 たとえば静岡県におけるヘリコプター取材体制の充実度は、東京からも名古屋からの十分にカバーできる距離にありながらなぜ必要なのかという素朴な疑問があるでしょう。

 これは東海大地震が発生し大きな被害が出るとき、必ず付近を走行中の数多くの新幹線が脱線転覆して多くの犠牲者が出るという想定の元に、各キー局が必要以上の密度でヘリコプターを配置しているのではないかということが言われています。

 この体制は30年以上も続いているのですが、東海地震はまったく起こらず、経費の点で持ちこたえていけなくなるのではないでしょうか。

 取材用ヘリはニュース取材以外にもマラソン中継の映像取材とマイクロ波の送受信に多く使われたり、バライティ番組の航空撮影などにも使ったりして、有効利用をと頑張っていましたがそれも限界なのでしょうか。

 元 一緒に仕事をさせていただいた中国地方準キー局の報道部長さんのブログによると、いまのマラソン中継のヘリによるマイクロ波の中継はいらなくなる新しい技術が確立されているようですのでヘリの出番はさらに減りそうです。

 http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=529352&log=20100221

 今後 ヘリコプターや固定翼機による航空取材体制は、小型化、効率化、地方は統合、共同化へと進むのではないでしょうか。

 民放は会社経営が優先でしょうから、一番にその方向へと行くでしょうが、国民の放送局NHKは果たして今のような贅沢な機材による全国カバーはいったいどのようになるのでしょうか。

 新日本へりの水上事故調査 発表、、、、、


 http://jtsb.assistmicro.co.jp/jtsb/aircraft/kensaku/detail.asp?ID=1961

1昨日でしたか、1年ほど前に起こった新日本ヘリコプターの送電線パトロール時の事故の調査結果が発表されました。

 発表された調査報告書では、機長が巡視者と十分にコミュニケーションをとらないまま、また現在位置をよく把握しないままの前進飛行を続けたために、上部を交差する送電線の発見が遅れ、ローターが線に接触して操縦不能になって墜落したと結論付けています。

 このパイロットは総飛行時間が1600時間程度で送電線パトロールの実務経験飛行時間が190時間しかなかったそうです。

 この報告書は送電線パトロール飛行の訓練のあり方や、飛行経験等についての不備などについてあまり報告はなく、このような初心者の練成の仕方という根本的な面での提言があまりないのが、調査するほうに実態がわかっていないということを表しているように思います。

 東京電力の送電線はたぶん1万キロメートル近くあって、そのうち送電線パトロールをヘリコプターで行う亘長は5000キロメートルではきかないでしょう。

 これは何を意味するかというと、送電線パトロールなど超低空で飛行する必要がある作業は、飛行した経験のないルートを実務で乗客を乗せて飛ぶことが良いのかどうか、かなり難しい問題があります。

 いくらコミュニケーションが取れていても、自分の現在位置を把握していても、送電線のすぐ直近を飛ぶパイロットが、次に来る交差場所や、特殊な地形をコミュニケーションや図面でなければ知ることができない、つまり超低空で飛んでいてさらに送電線の直近を飛んでいて、そのようなことが許される余裕があるかどうかです。飛ぶ経路上のことは事前に経験して知っているべきではないかということです。

 過去に送電線パトロール中に同じような事故が起こっていますが、そのときの結論としては、その送電線ルートに関して、パイロットは必ず1回以上の飛行経験がなければ実務飛行をしてはならないといわれています。

 そして現実的にそのような訓練飛行または実務での同乗飛行をすることになっている電力会社が多いようです。

 そこで大きな問題が20年ほど以前から起こっています。通産省の送電線維持管理の規則が変わり、それ以前は毎月1回以上パトロールをしなければならないと決められていたものが年間2回でよいと規正緩和されました。

 つまり、年間2回しか飛ばなくなったので、同一線路は多くても年に2回しか飛べないということになってしまい、同乗慣熟が飛んで出来なくなり、無償で訓練するにしても延々5000キロもすることは事実上不可能となってしまったのです。

 経験の多いパイロットが多くいるうちは良かったのですが団塊の世代が次々引退する中で、今回の事故のパイロットのような新人が参入してくると、十分な訓練や経験付けが出来なくなって非常にん危険な状態が出てくるであろうことは以前から十分に予想できたのですが、ものの見事にそれが的中してしまったようです。

 自分の飛行経験のない送電線ルートを、地図とコミュニケーションだけで、安全確実に飛ぶためには数千時間以上の経験がいるでしょう。

 年間2回しか同じルートを飛行しなくなった20年前からこのよう事故はすでに予想されていましたがそれに対して十分対応できなかった結果の事故だと思います。

 さてこのような事故はどうやって防げばよいのでしょうか、なかなか答えは難しそうです。

 事故調査の結果はこのような事故をどう防ぐかという答えはほとんど出ていないといってよいほどのものでしょう。

 腕の達つ人、筆の達つ人、、、、


 長くお世話になった前の会社には、パイロットでありながらすばらしく筆の達つかたが多くおられました。

 小説家でもあられた小林末次郎さんは戦前のパイロットで長く運航担当役員の要職にあってなお、何冊もの小説をものにしておられました。

 自分の机の後ろには、無事故の金字塔というものを置いて、毎週1枚ずつの三角形の金紙を張って無事故を重ねていくと一年で大きな金色の金字塔が出来上がる仕組みでした。

 自分が入る前に起こった数件の死亡事故を反省し、毎週毎週 金の三角形を張って積み重ねていくようにされたそうです。

 長く運航部長を勤められた岩崎秋義さんは戦前の1式陸攻のパイロットで戦記ものから歌集、小説から物資輸送の教本まで数多くの本を世に出したことも有名ですが、操縦では福田赳夫総理の専従パイロットとして選挙活動に同行されていました。いま90歳を肥えてお元気であられるようです。

 戦中パイロットの木村栄一郎さんは、すごい紳士で、TBSラジオの交通情報番組での超名人で関東地方のラジオリスナーで知らない人はいないほどでしたし、「 雪嶺のかなたへ 」というエッセイ集を出版されました。

 そして年代が下って、有名な宮田豊昭さんは私たちが直接習った教官でもあり訓練課長でもあられましたが、後には長く役員を相棒の西川渉さんと勤められていました。このかたも多くの著作を残していて、一部はインターネットでも公開されているようです。

 この方たちは本業のパイッロット生活や、重要な役員勤務の合間に、見事にこのような著作を残しておられ、すばらしいの一言に尽きます。

 このような文才のすばらしい方たちとは対極ではありますが、パイロットとしての技術で後世に名を残した方たちも数多くおられて、私たち駆け出しにとってはすばらしい会社生活でした。

 富士山頂の神田さんは航空関係者以外でも知る人は数多く、NHKのプロジェクトXの初回に取り上げられた有名人で、ちょうど退職の年代に自分が物資輸送の訓練を最後の訓練生として指導していただきました。

 坂井三郎2番機で有名なの上原さんは晩年、70歳近い年齢で農薬散布の事故のために殉職されたのですが、当時マスコミでゼロ戦のエース、戦死と報じられものでした。

 この上原さんはヘリコプターの操縦以外のことは、かなり、ハチャメチャといえば失礼なのですが、操縦そのものはすばらしいものであると万人が認めるところでした。

 この大先輩パイロットたちの操縦の腕と、著述の筆の力 すばらしいものがあって本当に恐れ入ったものでした。

 上原さんがあるときに私に言った言葉が強烈に残っています。 ○○君、パイロットは筆じゃないよ、腕だよ、、、、

  すごい自信でした。とてもその域には及ばなかったようです。腕も筆も、、、、、

 老いぼれドクターヘリパイロット 老後の計画、、


 3月末で定年を迎える私は、あと数年間は業界や会社に迷惑をかけない範囲で飛び続けたいと思っています。

 長く飛んでいたので、60才を過ぎたからと言って急に能力が落ちることは無いでしょうが、緩降下状態にあると言ってよいでしょうから、いずれその技量や知識、運動能力が一定以下になるとプロとしての商品価値はなくなるでしょうから、その前には引退したいと思います。

 一昨日亡くなった、藤田まことさんは俳優と言う職業柄、死ぬまで続けられたと言うことは本当にうらやましい限りです。

 パイロットが飛べなくなって、頭や口や筆で何事かしようとしても、元々非才な人間ですから、ほとんどものの役にたたないでしょうから、後は社会の片隅で静かに余生をと言うことで送りたいと思っています。

 しかしヘリパイロットとして、飛ばなくなってからの長い人生を、少しやってみたいことがあって、是非実現したいと思っています。

 それは自分が、小さくて非力な航空機であるヘリコプターで飛びまわり、そして離着陸を繰り返した、懐かしい場所を北は北海道から九州まで訪れてみたいと密かに思っています。

 正確にはわかりませんが、たぶん着陸した場所の数だけでも数千箇所はあると思います。

 たぶん65歳くらいになったら間違いなく引退しているでしょうから、中古の安いキャンピングカーを買って、デジカメとパソコンを積んで、全国を区域ごとに分けて一月くらいずつ出ては自宅に一月くらいの間隔で計画して実行すると、全国を制覇するにはたぶん3年や5年はかかるのではないでしょうか。

 はるか昔にKH4で降り立った、北海道の原野や、332で飛んでいった黒部渓谷の奥深い谷間の着陸場所、秋田の八郎潟の干拓地の入り口のアイスクリーム売りのおばさんの直ぐ脇に着陸した場面などなど、今から思っただけでわくわくします。

 出来たらボルネオやスマトラまでも訪れたいところですがそれはたぶん無理でしょう。

 あと数年もしたらそれが実現するでしょうから、このような小うるさいブログはいったん閉じて、今度は自分の歴史をたどり、きれいな懐かしい景色と共に思いで話を綴る、楽しいブログに挑戦してみたいと思っています。

 ビールをいっぱい積み込んで、小さな魚くらいは釣れるような道具を積んで、時間にとらわれないように、寝たいときに寝て、食べたい時に食べ、走りたいときに走るような行程で、自分が着陸した場所を探して、実際に其処をたずねて、当時と同じ空気をいっぱい吸ってみたいと思っています。

 我ながら、なかなか良い計画だと自画自賛していますが、果たして実現できるでしょうか。

  藤田まことさん 死去、、


 俳優の藤田まことさんが大動脈瘤からの出血でお亡くなりになったそうです。吹田市の病院と言うことはたぶん3次救急病院でしょうから、救命処置が及ばずに亡くなったということなのでしょう。 

このニュースに接していろいろなことが頭をよぎりました。

40年ほど前に同じ病気で私の父が大出血の後、ほとんど治療らしい治療もできない状態となって、輸血をした程度しか出来ないで、倒れてから2日目に亡くなったことをまず思い出しました。

当時私はウイングマークを取って、F86Fの課程に進んだばかりでまだ、イニシャルチェイスと言う一人乗りのF86F出始めて飛ぶ訓練の寸前の時期でした。

おじから部隊へ父が倒れたという電話が入り、飛行隊長の計らいで、当時飛行隊があった宮城県松島基地から名古屋の小牧基地へT33に乗せられて、計器飛行訓練と言う名目で送っていただきました。計器飛行訓練と言う名目なので、まさか父が死ぬなどとは思わない気安さもあってほとんど操縦して行ったように思い出します。

エプロンでつなぎの飛行服から私服に着替え、脱いだものはそのまま後席へおいて、フォロミージイプーで滑走路を横断して、民間エプロンへ送ってもらい、タクシーを拾って名古屋駅へ飛ばし大阪へ戻ったのでした。

幸い1日看病して、いくらか言葉を交わした後に亡くなり、告別式を済まして5日後には帰隊することとなりました。

藤田まことさんの死亡された、病名を聞いたらまずこのことが頭をよぎったのですが、いつも勤務するドクターヘリの運航中、この病名の方を搬送することがたびたびあって、この病名を聞くと、いつも自分の父親のことを思いながら助かればよいな、軽くすめばよいなと思いながら運航していました。

藤田まことさんと言えば、関西人でなくても、団塊の世代以上の年代にはやはり「てなもんやさんどがさ」でしょう。

日曜日のお昼はいつも家族そろって、テレビの前に釘付けになる良い時代の象徴だったように思います。
当時は今と違い、在阪のテレビ局の元気さは今日とは比較にならないよき時代であったように思います。

その中心にあった藤田まことさんは、この番組の人気低下終了と共にうまくキャラクターの変身を行ってシリアスな役柄から時代劇へとすばらしい変化を成し遂げたのも、在阪テレビ陣営の総合的な力があったからだったのでしょう。

過度の東京一極集中が言われる今の時代、当時の良き時代が懐かしいと思いますがそんな中の星がまたひとつ落ちたと言うことでしょうか。

航空無線、4倍になっている使用可能周波数、、、、、


 (写真)こんなものこんな所へ着けてはだめなんですがね(笑)


戦後 日本に航空が開放されてから、管制塔など航空管制や航空会社などの運航者の社内無線などVHF帯の周波数のピッチは国際基準の改編に合わせて、当初は0.1MHZ単位であったものが0.05MHZ単位、そして現在は0.025MHZ単位となっていて最初に比べると4倍の周波数が可能となっています。

 飛行場や管制機関の数はとても4倍にはなっていませんので、0.25MHZピッチに細かく割り当てると今の状態ではかなりの使用されていない周波数が存在しあまっているように思います。 

 最近は航空機局の無線検査に電波管理局の方がヘリコプターに直接乗って検査することは少なくなって、認定業者による検査代行でよくなっていますので、あまりお話を伺うことは少なくなりました。

当時、お話を伺うと、他の電波の使用の仕方に比較して、航空の分野の周波数や電波の使用の仕方は非常に贅沢な分野で、貴重なVHF帯を0.05ピッチで単なる音声通信のみに使うことなど他では考えられないと言うことを話しておられました。

 今 日本の空港や運航会社などで使用している周波数も、多くは0.05単位で0.025単位のものは少ないと思いますので、0.025単位の周波数は多く空きがあるのではないでしょうか。

 この航空用の周波数を使えるのは航空管制用をのぞけば運航会社や、警察、消防、防災などの基地局がほとんどで、そのほかには1ワット程度の小さい移動局が一部認められて、運航会社の物資輸送などに使用されているだけです。

 警察や消防は正式な修理改造を行って、検査を受けて航空機用無線、航法用無線機器との同時使用による干渉試験などをクリアーしたものを正式な航空用として装備しています。

 ドクターヘリや、電力会社の使用するへりなど消防無線や医療無線、電力会社専用無線などは持ち込み荷物として使用していますが、これは暫定的なものとして機内で使っていることが実情で、いずれは警察のような物を積むか、あるいは航空用の周波数に余裕があるならば、航空無線の地上局を各消防や救急車に備え付ければ航空機の改造は必要となくなります。

 このような航空無線に対応する地上局はハンデイの航空用無線機は、アメリカや香港ではライセンスが無くても自由に手に入るようです。

しかも、これらはほとんど日本製でアイコムなど非常に良いものがあり、値段も5万円程度で売られていて、日本からの旅行者が多く買って日本に持ち込んでいるようです。中には知り合いの管制官が持っていると聞いたことがあります。

つまり新たな周波数を、対地対空移動用に使用するには、航空機を改造するか、航空機が発射できる電波を使えるハンデイ機を地上に用意するかどちらかです。

ドクターヘリに国内地域ごとに5波ていど新たな航空用周波数の使用を認め、地上にはアイコムのハンデイ機を消防署、救急車など、必要数配置し、その使用を認めればよいでしょう。

ドクターヘリが当初航空無線で医療情報のやり取りをしていて、大手某ヘリ会社では関東平野を飛ぶドクターヘリが離陸すると他のヘリとの航空用業務無線がまったく使えなくなって、やむなく医療無線を設置したようです。この問題も新たな航空用無線周波数を割り当てれば済んだところを、医療業務は医療無線でと言う官庁縄張り争いの余波でヘリに余分な無線機を持ち込むこととなったように思います。

いずれにしても完全に合法的、安全確実干渉の無いようにするには、警察方式を取るか、法を改正して地上ハンデイ機の使用を認めるかどちらかになるでしょう。

この問題は高速道路着陸問題と同じで、複数の官庁が複雑に絡み合って解決策がいつまでたっても出ないのでしょうが、消防無線のデジタル化が迫っているようですので、今の持ち込み無線機は使えなくなって、期限はそこで切れるようです。

プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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