動物たちとの出会い、ヘリパイ人生(内地編)、、、、、



北海道はヘリで飛ぶときだけではなく、車で走っていても雄大な景観で内地の景色とは一味違っています。

 そのひとつには、やはり真平らな地平線が見えることでしょう。内地ではヘリで点でいて地平線が見えるところは極少ないのですが北海道ではかなりあちこちで見ることができました。

 雄大な自然のかなで飛んでいると、動物たちとの遭遇は極日常的にありましたが、内地で飛んでいるとやはりその機会は限られた回数でした。

 内地で飛んでいて動物たちに遭遇するのはやはり冬山の豪雪地帯で、冬型の気圧配置が緩み太陽の下での銀世界になったときが動物たちも、えさや太陽を求めて雪の上を活動します。

 と言う我々 人間も厳冬の間の極少ない好天の合間を利用してヘリコプターを飛ばして、山深い発電所や送電線、ダムの点検 整備 保守に向かいます。

 場所は新潟福島県境の奥只見や岐阜石川県境の御母衣地区の豪雪地帯です。場所によっては積雪10メートルは普通でそのような大自然の中、日本カモシカたちやウサギなど新雪上に足跡を残しています。

 日本カモシカはヘリが飛んできても、逃げることはほとんどなくずっと見つめていますので、ずいぶんと目があったものでした。

 雪のない時期は希少猛禽類のオオタカやイヌワシと出会ったりもしました。最近は保護が強く叫ばれていますので、人里離れた山奥の送電線鉄塔の頂上にわざわざ 巣を作りやすいように台を作ってやり、営巣時にはヘリは500メートルも回避して、パトロールをし保護に協力していました。

 そのほか 鹿や猿、狸 や 狐などが きれいに刈り込まれた送電線鉄塔の敷地内で散歩したり休んだりしているのも結構見かけました。これらはヘリが近づくといっせいに森の中へ逃げ込んでいきます。

 動物たちと出会うのは天候がよくて、ゆったりした気持ちで飛べる余裕のある時ばかりで、強風や降雪時など飛ぶことに集中しているときに動物たちに出会うことはほとんどありませんでした。
 天候が悪いときは動物たちもあまり活動しないと言うことでしょう。

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 ヘリコプターからの交通情報、、、、、


 昭和40年代 ラジオ放送で空からの交通情報をパイロットが流すと言う企画が東京大阪で盛んにやったことがありました。

 新しいものは何時も関西からと言うことが言われますが、このヘリによる交通情報も関西から始まったようです。

 当時の大阪エアーウエーズが朝日放送から依頼を受けて飛んだのが日本で最初だそうです。
 
 車で通勤する人たちや茶の間にいる人にとっても空からの情報はきわめて新鮮でしかもリアルタイムであり、喋るキャスターはヘリのパイロットなので素人の新鮮さもよかったのでしょうか。

 最盛期 大阪エアーウエーズはベル47やベル206で 一日に最高8時間も飛行したことがあったようです。

 この企画は直ぐに東京でも実施され、ニッポン放送や東京放送はベル47で文化放送はセスナでやるようになりました。

 このヘリキャスターはもともとはしゃべりのプロではなく皆さんヘリのパイロットなので、おもしろいことがいろいろとあったようです。スタジオのパーソナリテイからの掛け合いで主に渋滞情報などをレポートするのですが、言葉に詰まって話せなくなって。5秒以上黙ってしまうと放送事故となるのですがこのようなことも何回かあったようです。

 しかし皆さんなれてくるにしたがって受け答えが上手になって、いわゆるタレントレベルまで言って、しゃべる内容は渋滞情報にとどまらず、自分の趣味の話、ヘリの話、社会批評などなどパーソナリテイと渡り合ったようです。

 ついにはヘリからだけではなく、スタジオからや公開放送などまで出演したつわものまで出たようです。

 当時私はまだライセンスのない訓練生でしたが、一時毎日のように同乗させてもらい。操縦桿を握って東京都内 都下あちこちへ飛びました。

 おかげで東京の地理は自然と身について以後のフライトにずいぶんと助かりました。

 早朝7時から9時くらいまで飛びますので、キャスターはさすがに眠気に耐えられず居眠りの連続でしたが、本番の入る5秒前にはぱっと目をさまし、すらすらとレポートしてまた熟睡の技には恐れ入ったものでした。

 この時間帯は結構大きな交通事故が起こったり、大事件が起こって、一番乗りで現場から熱いレポートをしたことも数度ではありません。

 この仕事も渋滞を自動的に計測するシステムが整備されたのと、ヘリの高い運航費用のため一挙になくなってしまいました。

 一部テレビでも同様のフライトをやっていましたが、たまたま日航機が羽田沖に墜落して10分も立たないうちに生の絵を送って大スクープを取ったのはテレビ朝日の東邦航空でした。

止めを刺された年金問題、、、、、


   (1980年 このころ日本はそれほど豊かではなかったのですが、上昇途上でしたのですべての物事がうまくいくような時代でした、この方は某県県会議長さんで 森林資源の視察にこられました)



 また年金問題が大変な様子になってきたようです。

 標準月額報酬を故意に低く申告し、会社経営者が支払う年金掛け金を少なく払うことを社会保険事務所と結託してやっていたことがどうやらあったようです。

 保険などでは普通、お金を支払って将来に保障を受け取るシステムで、支払った人が保険会社にいつ いくら支払ったか、一覧表を出せと言われて出せなかったら、詐欺で告発されるでしょう。

 どうやら社会保険庁と言うところは、そう言うまったく基本的なことを出来ないで、国民の納めた掛け金を湯水のごとく自分たちが天下る箱物に入れ込んでいたようです。

 若者の年金納付率はすでに実質50%を切りそうな勢いで下がっているようですし、秋葉原無差別殺傷事件を起こしたような、派遣社員やフリーターばかりの世代が13000円の掛け金を納めて将来果たしてもらえるかもらえないかわからないようなものにまじめに収めるとも思えません。

 そのような世代がフリーターや派遣社員のまま、結婚もしないで子供も無く、60代を過ぎたら、当然生活保護を受けるしかないでしょう。

 このような状態はどう考えてもその世代の個人が悪いからだと決め付けるのはとても無理なような気がします。

 と言って社会が悪い、政治が悪い、大企業のエゴでこうなったと言ってみても始まらないのも確かです。

 さて、ドクターヘリを飛ばす身としては、このように年金で大失態を演じている厚生省と言う同じ組織が、ドクターヘリと言う新しいことをはじめたわけです。

 果たしてこのあたらしい試みがうまく行くのかどうか非常に気になるところです。

 たいてい物事は、新しく始めたときは、いきなりぜんぜんだめと言うことはないでしょう。年金システムもはじめた当時は、ばら色の将来と言うものが合って、国民のほぼ全員が納得してスタートしたのでしょう。

 ところが長い間に渡って、少しずつのサボタージュや見込み違い、役人や政治家のいい加減さが蓄積し、今のどうしようもない状況を招いてしまったのでしょう。

 始まったころはかなりもてはやされた、派遣制度やフリーターなどもきっと同じ道筋をたどって今のどうしようもないところまで来てしまったのかもしれません。

 今のところドクターヘリという制度はかなりうまく機能しています。そのように見えるだけかも知れませんが。

 はたして このまま十年二十年後もうまく機能しているのでしょうか。非常に気になるところです。

 やはり 国民 市民 納税者 費用負担するものたちが 常に目を光らせて、だめなところはだめだ、そう言うところには、金を使うな こうあるべきだ と 常に発言していくことしかないでしょう。

 マスゴミに任していては、結果はまた年金と同じかもしれません。

動物たちとの出会い ヘリパイ人生(海の動物たち)、、、、



 ヘリコプターは海の上を飛ぶ機会も結構あり、それも普段は300メートルから600メートルの比較的低い高度を飛ぶことが多いようです。

 固定翼機の場合は高い高度を飛ぶほうが一般的に燃費が良くなるのでヘリコプターのように低いところを飛ぶ機会は少ないようです。

 ヘリコプターは一般的に5000フィートくらいが一番燃費がよくなり、それより上でもしたでも燃費は悪くなるようです。

 エンジンや機体の故障が起こった場合、固定翼機は高いほうが不時着に有利で安全ですが、ヘリの場合はどこにでも着陸できると言う利点があるので、低い高度で飛んでいるほうが安全に不時着陸できる確率が高くなります。

 このような理由で海上を飛んでいるときに、動物に遭遇する確率はヘリが圧倒的に多いようです。

 まずはじめに紹介するのは、昭和50年前後だったと思います。八尾空港から当時の岡山空港へ毎月のように送電線パトロールで往復していた時の話です。

 八尾空港から岡山空港(今の岡南飛行場)への最短経路は南港から明石海峡を通り、家島と小豆島をかすめて飛んでいくのが一番の最短直線経路でした。

 単発で非力なKH4でそのような経路を飛ぶより、明石姫路と陸上を飛んで行くのがごく普通の飛行経路だったのですが、若さと冒険心と生意気盛りで、直行経路を飛んだりしていました。

 そんな折、家島を過ぎて そろそろ小豆島を真横に来るころでした。どんよりと曇って風もほとんどなく、海はべたなぎでした。

 灰色の海面をぼんやりと眺めながら700フィート位で(200メートル)飛んでいると、目前45度くらい下に鯨みたいなものが目に入りました。

 「おーー鯨だーー」 と叫けぶと同時に急降下 鯨 に 急接近  

 「○ ○ さん あれは鯨じゃないよ すなめり と言う動物だよ」 と 後席の整備士が教えてくれました。

 彼は岡山の玉島出身で、釣りもするのですなめりと言うものをよく知っていたのです。

 ヘリコプターが近づくと すなめりは 尻尾を大きく翻して、海の中へ消えていきました。

 白にごく近い灰色で 背中に塩を吹くような穴があったような 大きさは2,3メートルでしょうか、その光景今でも目に焼きついています。

 その後2.3回 目撃しましたが いずれもヘリが近づくと一瞬で海中へ消えていきました。

 それから、6,7年過ぎて インドネシアへ赴任して、スラウエシ島(旧セレベス)の木材開発支援で飛んでいるときに似たような動物によく出くわしました。

 沿岸の比較的浅いところで、2、3頭で 悠然と泳いでいました。決まったところにいつも悠然と泳いでいるので少しもめずらしくなくなってしまうほどでした。

 長く駐在している木材会社の人が教えてくれました。 インドネシアでは人魚とも呼ばれるジュゴンと言ういるかや鯨の仲間だと またこの動物はインドネシアの天然記念物であると。

 最後はいるかの大群の話です。

 結構広いKの形をしたスラウエシ島の各地に展開している木材開発キャンプを行ったり来たりする連絡飛行が結構ありました。

 洋上を1時間から1時間半も飛んで目的のキャンプまで単調な飛行でした。熱帯の洋上は昼間は快晴で風も弱く視程障害もありません。

 洋上を長く飛ぶときは、脚に緊急用フロートを装備したヘリですので3000フィートから5000フィートを飛ぶことが多かったようです。

 3000フィートくらいでぼんやりと半分居眠りしながら飛んでいると、下にいるかの大群が目に入りました。

 眠気覚ましに、見に行きましょうかと、同乗の木材会社の日本人幹部に声を掛けると頷いています。

 すごい数のいるかです。ピッチレバーを下げ、20メートルくらいまで高度を下げました。360度回りはいるかだらけです。

 飛び跳ねるいるかが横に見えてきました。見ると飛び跳ねるいるかがヘリと同じくらいの大きさに見えました。

 下がりすぎたーーおおきすぎるーーーあわてて高度を上げしばらく並んで飛びましたがやはり恐怖でした。

 反省!!!

動物たちとの出会い、ヘリパイ人生(ヒグマ編)、、、、



  (秋になるとこのように北海道を目指して編隊を組んで飛んで行ったものです。)
   

 今日は日本国内出の話です。

 日本国内でヘリコプターで飛んで、一番動物たちと出会えるのは、やはり自然がいっぱい残る北海道でしょう。

 25歳から30歳代はじめまでですので、すでに30年近くも年月が過ぎています。

 その当時北海道の山林は、落葉松や椴松がいっせいに植林されていた時期だったそうです。その植林された若木を秋の初めころから初雪が降る時期に、野鼠がかじっていしまい、ひどい場合は植林した苗木を全滅させてしまうようなこともあったそうです。

 野鼠の被害は年によって周期的増減し被害の多い年とそうでもない年があったようです。

 この被害を食い止めるために、ちょうど被害が出る晩秋の時期に、野鼠退治のリンカ亜鉛とよばれる5ミリ大の殺鼠剤をヘリコプターからいっせいに撒布する仕事が例年ありました。

 多い年には9月末から12月はじめにかけて北海道じゅうで30機ものヘリが飛んだようですが、最近は10機程度になったようです。

 この仕事をやることになって、大自然の北海道の山々をくまなく飛び回り、行ったことのない場所がないほど北海道中を回りました。

 この経験の中での野生動物たちとの出会いが多くありました。

 北海道と言えばやはり、まずヒグマでしょう。

 ヘリコプターが薬や燃料を補給する時間や 昼食 朝夕の 地元林業関係の皆さんとの雑談、会話の中心はやはりヒグマの話でした。

 山歩きをしていた大学の登山部のパーテイが食事のたびに残した残飯をそのままにしたので、熊がそれを食べながらついてきて、最後にそのパーテイを襲って全員食べられてしまったとか、人は食べられるのはやわらかい内臓だけだとか、営林署職員が熊にパンチを食らって顔をえぐられたとか、怖い話ばかり聞かされたものです。

 知床半島の羅臼では、地元の人から、熊が夜に家に入ってきて、台所に上がりこんで冷蔵庫を開けて片端から食べつくし、酒まで飲んで出て行った話を聞きました。その間家の人は2階で震えていたそうです。

 熊は人がいるところには普通出てこないようでしたので、騒音の多いヘリポートなどで見かけることはありませんでした。

 飛行中の騒音がするとたいていは森の中へ隠れてしまうので見ることは無いだろうと思っていました。

 ところが低空で 散布中 植林地の片隅に呆然と立ち上がっている熊と目が合ってしまいました。

 やや遠かったので、小さく見え 一瞬 かわいいなと思い 急旋回して彼のほうに機種を向けると危険を感じたのか猫が走るように熊笹の中へ走り出しました。

 高度10メートルくらいで20メートルほど先の熊笹の中へ入りました。

 そのまま加速して前進すると茂みから一瞬 出て疾走していました。体を伸ばした時は2メートル以上あったでしょうか、すごいスピードで豹かライオンのような走り方でしかも大きい体を見て、今度はこちらが危険を感じる番でした。

 墜落したら絶対食われてしまうーーーー。

 怖くなって その地域の撒布どころではなくなってとりあえず高度を取って、気持ちを落ち着かして別のところを撒布してヘリポートへ帰りました。

 いきなり出くわして、怖い目にあわせてごめんごめん。こっちも怖かったーーー。

 地上でこのようにいきなり出くわしたら確実に食われてたんでしょうね。


 

動物たちとの出会い、ヘリパイ人生(バビルサ編)、、、、、、、




 ヘリコプターで飛んでいると、色々な状況で珍しい動物たちとの出会いが数多くあり、感動したものです。

 もちろんの野山や海を低空で飛んでいるときに思わぬ動物たちと出会い、ローターを翻して、飛行任務を忘れて追いかけたりしてしまいましたし、ヘリを降りて地上にいる時にも思わぬ出会いが数多くありました。

 今日はその第1話です。

 1980年から1981年にかけて、約1年間インドネシアの国内のうち外国人が入れないチモールを除くほぼ全土を650時間ほど飛び回りました。

 インドネシアで動物と言えばやはり蛇でしょう。松ノ木のような太さのニシキヘビや猛毒のコブラ、小さくても毒の強いグリーンスネークなどがいるのであぶないとよく脅されました。

 ジャングルの中の木材開発キャンプなどでは、人の生活の周りにネズミたちが集まり、それを求めてコブラなどが集まってくるので、ベッドで寝る前は必ず海中電灯で下を十分確認して寝るようになどと脅されて落ち着いて寝られなかったものです。

 幸い1年のあいだに蛇を見たのは3メートルくらいのニシキヘビを、木材キャンプの作業員たちが捕まえて今から調理すると言う場面だけでした。

 前任の同僚パイロットは空港でヘリから出て少し草地を横切ってCABへ行こうとしたら 猛毒のグリーンスネークがとぐろを巻いているのと目が合ってしまい、そのまま後ずさりをしたと言っていました。

 木材開発キャンプで支援飛行のため長くキャンプで泊り込んでいた時の話です。

 キャンプでは数百人の作業員を雇用して、そこから100キロもの奥地の良質な木材を求めて、ブルトーザーで道路をつくり、前進基地を作り、20トン以上積めるトレーラーでキャンプまで延々と丸太を運んできます。

 その木材を海に落とし、沖に停泊する1万トンクラスの木材運搬船に積み込んでは日本に送る事を繰り返していました。

 そのような大規模のキャンプでも日本人はマネージャーはじめ3,4名程度で後はすべてインドネシア人、自分も大概はインドネシア人の整備士と組んで飛んでいました。

 夜は暗くなったら、自家発電をまわして、10時には消灯でした。

 そんなおり、鹿狩りに行こうということで、駐在する警官を連れて、ジープ2台程度で本当に真っ暗なジャングルへ出かけました。

 ジャングルへ入ったら車の明かりを消して、動物のかすかに光る目を見つけたらその間を狙って撃つらしいのでした。警官を連れて行くのは彼がライフルを持っているからです。

 それを借りるというか 取り上げて皆で交代で何発か撃ってみましたが一匹も仕留められませんでした。

 そしてあきらめて帰ろうと、ヘッドライトを着けてスピードを出して走っていると、何かがドーンとぶつかりました。

 降りて見ると、猪のような動物がジープの前に倒れ血を流していました。どうやら眩しいヘッドライトに飛び込んでしまったようでした。

 その動物はバビルサという天然記念物の希少動物だとキャンプマネージャーが教えてくれました。

 インドネシア語でバビーとは豚のことでルサは鹿です。ちょうど豚と鹿の中間種のような動物だそうで、1982年からはワシントン条約などで規制される動物になったようでした。

 ジープの後ろに積んで、キャンプに持ち帰り、次の日の夕食の焼肉になりましたが、インドネシア人の幹部たちはイスラムで一口も食べず、我々日本人もおいしくなかったので、あまり食べなかったように思います。

 ただ そのめずらしい 牙は日本にこっそり持ち帰り、今は下の孫の大事な宝物になっています。
 

ドクターヘリ 夜間飛行を始める前に(6) I F R、、、、、

 IFRと言えば航空関係者の間では計器飛行方式(インスルメト フライト ルール)と呼ばれ、これが長い間、出来なかったので、ヘリコプターにとってはその飛行技術の頂点でもあるかのように吹聴するパイロットも多くいました。

 これの飛行方式を極めれば、ドクターヘリが夜間であろうが、どんな悪天であろうが、どんな山間部にも飛んでいけて、谷の中の狭いところにも安全確実に着陸でき、救急活動を完璧にこなすことが出来る。

 残念ながらこのようなことは不可能です。

 世界中のどこにもそれを実現しているところはありません。

 御巣鷹山で生き残っていたであろう、重傷者が12時間も放置され、死んでいった時代と今のヘリの飛行技術の差はほとんどありません。

 ここでやはりある意味冗談として言われていた、飛行技術の低い、経験の少ないへりのパイロットが冷やかして言われた言葉  I F R です。

 I Forrow The Rоad   道に沿ってしか飛べないと、、、、


 この方法が一番確実で安全な飛び方であることは今もまったく変ることはありません。

 特に夜間や悪天候時は自分が知っている道路に沿って、速度を落として、低い雲や霧を交わしながら、記憶にある障害物の送電線や高い建物などを確認しながら前進、いつでも引き返せる腹積りで、いつでも開けたところに予防着陸する覚悟で、、、、

 このような飛行方法は夜間は危険すぎて、実際のドクターへりの夜間飛行には絶対に使用するべきではありませんが。

 やはり 夜間のドクターヘリは それなりの広さがあって、ある程度の夜間照明施設が整備されていて、それに向かう経路はある程度の光量がある地域であることが必要でしょう。

 いきなり、照明が整備されていない、未知の現場に着陸することは大きなリスクを伴うでしょうから、このようなことはよほどのことがない限りできないでしょう。

 ところがこのようなこと つまり 照明施設が無くても、夜間いきなり 救急現場に着陸できる良い条件のところがあるのです。

 それは高速道路の事故現場です。事故現場までは通常、渋滞でヘッドライトをつけた車の群れが現場へ導いてくれます。

 通常の夜間飛行の場合でも、高速道路は非常に良い目標となります。

 そして その光が途切れたところが事故現場です。そこで救急車や他の車が着陸地点を適切に照らしてくれれば非常に安全確実に着陸できるでしょう。

 夜間のドクターヘリの活動で、照明施設を設置したヘリポート以外で現場に直接安全に着陸できるのは、高速道路を置いてほかにありません。

 ところが昼間の高速道路への着陸すら、未だに検討中というところが多いようですので、夜間は比較的安全に着陸できますと言ってもそれが検討されることもほぼありえないでしょう。

近畿各県知事 テレビ番組でドクターヘリについて討論、、、

 今日はテレビ番組で兵庫県知事を除く、各県知事に徳島県知事が加わり、ドクターヘリについて討論しているのを見ました。

 今年度導入したものの、出動回数が伸びない 大阪府の橋下知事が、各県知事に共同運航を求める助け舟を求めたような形です。

 片や先進県で年間400県近くも出動している和歌山県知事は、広域運航に対しては余り必要性を感じていないのか積極的ではないようにも見受けられました。

 しかし 各県知事とも広域運用には原則的に賛成の意思表示をしましたので、今後 近畿地方やその周りの鳥取県 徳島県 福井県などを取り込んだ 大掛かりな広域運航体制に向けて一挙に話が進む可能性があるかも知れません。

 とはいえ ヘリコプターは200キロ程度の速度ですので、時間勝負の救急に使用出来るのはやはり、100キロ圏内に限られるでしょうから、どのような組み合わせで、どこにヘリを置くか、どこまでカバーするかなど協定を結ぶまでには、検討課題も多いように思います。

 ドクターヘリがこのように、道州制や県を越えた広域地方自治の目玉として取り上げられたことは、ドクターヘリの発展には良いことだと思います。

 救急患者さんたちが発症からおおむね30分以内に救命処置をしてもらえる体制が一日も早く来ることを願っています。

 呼吸停止や心拍停止から15分以内がゴールデンアワーと呼ばれ、蘇生される確率が以後大きく落ちることは知られています。

 そこで欧米ではドクターヘリは15分で患者さんの元へ到着という歌い文句が叫ばれて、大いに効果を発揮していると言うことが一般的に言われているようです。

 しかし 発症と同時にドクターヘリを要請できたとしても、要請電話を受けてどのように急いでも、離陸に5分はかかってしまいますし、現場上空に到着してから地上その他の安全を確認して着陸するにはどう見ても3分や5分はかかってしまいます。

 つまり 15分で現場に着こうとすればどう考えても 巡航は5分程度ですから200キロの速度でしたら、20キロから30キロの範囲でないと無理と言うことが言えます。

 よって 知事さんたちの理想とするドクターヘリの広域運用はこの点を十分に考慮して、余りに広い範囲をカバーすることはドクターヘリの救命効果が大きく損なわれる可能性があると言うことを是非考えていただきたいものです。

 たぶん 仁坂和歌山県知事の余り積極的でない発言は、このような点まで深く考えて、県民の医療は最終的には県が責任を持つ気概が必要だと思っての発言だったような気がしてなりません。

 県民の救急医療に責任を持てる県同士が、広域連携をすることと、何も出来ていない県が安易に他県に頼るとか他県に出て行くという事は同じ連携でも大きく意味が違うように思います。
 

ドクターヘリ 夜間飛行を始める前に(5)、、、、

    


ドクターヘリが夜間飛行を始める前に、色々と検討して安全な運航を確実にするためは次々と問題となる事項が出てきます。

 考ええれば考えるほど、安全運航が遠くなって行くような気がしてなりません。

 しかし、今 医療過疎地がどんどん広がって、高齢者が過疎地に取り残されている状態を考える時、救急患者さんたちの救命のためには、ヘリコプターの能力を最大限にかつ、安全に活用すれば救命される命が格段に増えることは間違いなさそうです。

 もちろん救命を待つ命は昼夜を問わず、天候状態も関係なく起こってきています。

 そして、一日のうち半分の時間は確実に夜間ですので、悪天状態を克服する以前に夜間を克服する必要がありそうです。

 ドクターヘリは全国でやっと14機飛んでいますが、今は昼間のみやっと順調に飛べるようになった程度で、これからさまざまな問題点を克服して、その活動範囲を広げていこうとする入り口に立った程度です。

 今後の方向性としては 

1 日本人なら救急時誰でもどこにいても30分以内程度の時間で救命処置を受けることが出来るように必要なヘリコプターを配置すること。つまりドクターヘリの全国展開。

2、夜間やある程度の悪天候であっても安全確実にヘリコプターが飛べるような体制を作る。
  ヘリポートの夜間施設や飛行経路などの夜間障害灯火、無線標識等の整備、乗員の訓練

3、運航要員、医療従事者の安定的養成 育成と適切な配置

4、監督官庁、運航会社、医療機関、消防警察道路会社、等のドクターヘリに対する基準、施設,訓練育成、許認可などの方向性の一本化と経済的裏づけの確保

 最終目標は 全国50機配備 24時間運航でしょう。

 この目標は 過去に日本のヘリコプターが経験した 250機 農薬撒布 体制 その後の100機送電線建設、パトロール体制 この二つ国家的なの大きな事業より遥かに困難な事業になると予想しています。

 その第一の原因は運航の困難さではありません。

 この事業に関わる、関係官庁、会社 医療関係 等々ばらばらの関係者、関係機関が多すぎると言うことが必ずネックになりそうです。 

 
 

 防災機給油できず離陸遅れる、、、、、


 宮城 岩手内陸地震で ヘリコプターが集中した花巻空港で防災ヘリが給油できず患者搬送に影響がでたそうです。

 大事件や大事故、大災害が発生すると、最寄の空港は、防災ヘリ、県警ヘリなど官庁ヘリや取材ヘリ、その他チャーターヘリなどが集中し同じようなことが過去に何回も起こっています。

 そもそも日本の空港はこのような事態をまったく想定していないので、着陸することすら出来ないことも普通にありますし、まして給油や運航支援に至ってはまったくできないと言うことが普通です。

 給油は普段でも定期便の時間が重なったら30分くらいは待たされることは当たり前ですし、そもそも普段はまったく需要が見込めない採算のあわない小型機への給油を業者が慈善事業で余分な設備、備蓄を持つわけがありません。

 警察や防災もおのおの単機ですので自分たちが臨時の離着陸場所を確保して、大量のドラム詰め燃料を配備したり、乗組員や関係者の休憩や支援のためのスーパーハウスや、食事やトイレその他臨時の司令室になるような施設を確保できません。

 大手ヘリ会社などは、日航機雄鷹山、雲仙普賢岳などの場合に 現地へリポートを確保し、スーパーハウス大量の燃料を送り込んで多数機の基地として運航に備えるようなことを実施しました。

 消防法上は地域によりますが、ジェット燃料1000リットル以上は規制の対象ですが、このような場合、許可を受ける時間的暇がないので不法に集積していますが、緊急の事態に何の危険性もないジェット燃料の集積をだめだと言い切る消防当局はないでしょう。

 今回の地震に際して、陸自がこのような展開をしたかどうか知りたいものですが、仙台空港や霞の目基地、花巻空港へ延々と給油のたびごと飛んでいたとしたら、どうでしょうか。

 過去に広島で勤務していたとき、西鉄爆ジャック事件が起こり、広島西飛行場は瞬間的に取材機の予約でいっぱいになりました。
 取材機は広島西飛行場を基地に一晩中取材飛行に飛び回り、当然給油は長時間待たされる結果となりましたが、燃料会社に連絡し、ドラム詰めの燃料を20本 格納庫の隅へ配達してもらい、自社で給油しながら複数機を飛ばし、燃料のために待つことはありませんでした。もちろん消防法や飛行場管理上は違法行為ですが。

 また、短い給油時間で飛び続けるクルーのために、食事や飲み物、はてはタバコまで用意し、支援しました。

 ヘリコプターは燃料と着陸地がないと飛び続けられませんし、クルーは飲み物と食事とトイレ、そして休憩場所 連絡体制、人によってはタバコもないと飛び続けることは出来ないでしょう。

 大災害時に活躍するヘリコプターをすべて 統括しないといけないと言うことは、ただ単にどのヘリをどこへ派遣すると言うことだけでなく、着陸場所や燃料の配置、クルーの食事 休憩 トイレ、などなど 細かいところまで支援しないと燃料がなくて飛べませんでした。飲まず食わずで飛びました程度で終わればいいのですが、十分な情報がなくてついには空中衝突しました。助かる被災者がなくなりましたでは国民から見放されかねません。

プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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