6年ぶりの同期会、、

同期会

 昨日から東京へ出かけていたので、ボヤキ漫才のブログの更新ができませんでした。

 先ほど無事に帰宅できたので、やっとパソコンを開いていますが、東京は奈良の田舎者には異次元の世界で保護者無しにはとても無理という状態でしたが。

 埼玉に住んでで通算10年ほど東京勤務をしたのですが、すでに20年過ぎてしまっていて、浦島太郎状態です。

 市ヶ谷で同期会があったので、会合の前、不遜にも生まれてこの方 参ったことがなかった靖国神社へ田舎の歴史ガイドが参って来ました。

 戦闘機パイロットを目指して、1968年3月、18歳で、全国から集まった87名の同期生のうち、事故死した本人の弟さんを含めて18名が全国から集まってきました。

 というようなとりとめもないブログでした。

 帰りの新幹線で車掌さんが富士山がきれいに見えますと放送したのでつい取ってしまいました。

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長時間フライトの思い出、、、

インドネシア (3)

 プロパイロットが仕事として飛ぶ場合、制限が1日の飛行時間、1月、3か月、1年とそれぞれ運航規程に決められていて、1日の分だけは最後に予定通り着陸できないに勤務を打ち切れないので、超過はOKで次のフライトまでの休憩時間が決められています。

 1か月の制限は100時間、3か月270時間などと会社の運航規程によって決められていて、超過することはないはずなのですが、ヘリのような貧乏会社はやはり交代要員がいないとか、お客の仕事を途中で切れないなどと数回超過したことがありました。

 もともと、仕事が少ないヘリで、常識外の長時間飛んだのは、30歳のころのインドネシアの一年と、35歳から45歳の生コンや、木材の物資輸送を担当していたころで、体力も気力も充実していたので何とか乗り切れたということでしょう。

 ニューヨーク便などの国際定期便のパイロットは12時間飛行中に途中で交代し8時間飛ぶようですが、離陸したが最後、12時間後の着陸まで操縦することはほとんどなく、計器類のモニターと言う、我慢比べに耐えるということだと想像します。

 へりのパイロットの長時間フライトは我慢比べの巡航などはほとんどなく、一日中生コンや木材を運ぶ仕事なので、最高1日200回もの吊り上げ、つり下ろしを延々とするので、精密ホバリングの連続で、年を取って体力が落ちると、午後からはホバリングが決まらなくて、どうしても不安定になって、あばれて一回の行程の時間が遅くなって効率が落ち、高齢になると仕事そのものができなくなりかねません。

 45歳を過ぎると、下手になったと自覚し始め、計器の見張りをする仕事、電話番をする仕事に自然と変わっていき、ついに60歳近くになると、一日30分しか1時間しか飛ばないドクターヘリの仕事がちょうどよくなりました。

 今のヘリパイロットは大変不幸で、若いうちから電話番の連続で、腕を上げるチャンスもなく、年を取っていく運命で、しかもちょっとしたヘリには、自動操縦が付いているので、今後どうなるのか大変心配してしまいます。

 航空機の操縦はある程度は体で覚えなければならない部分がかなりあって、回数を重ねることは重要なのですが、その基本的な経験が積めない現在のヘリパイロットはどうなるのでしょうか。

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野生動物との遭遇、、

47 (10)

 最近あちこちで熊に遭遇して不運な方は亡くなるような事故まで起きているようです。

 写真は20代半ばころ、秋になると北海道の植林地の若木に野ねずみ被害が多発していて、ヘリで殺鼠剤を散布する仕事に毎年のように出かけていました。

 秋に北海道の大自然の山林を飛ぶので、いろいろな動物との出会いがあって結構楽しい思い出として残っています。

 キツネや鹿、リスなどは結構出会いましたが、熊は一度だけ、散布飛行中に見かけ、ヘリの音に驚いて、熊笹の中をライオンのように疾走して逃げるのを低空飛行で追いかけてみました。

 あまりに素早い動きで、低空で急旋回をして追いかけましたが、やっとついていけるほどで、急操作で墜落したら食われるとハット我に返って急に怖くなって仕事に戻りました。

 営林署や森林組合の方たちと一緒に仕事をして回るので、野外での昼飯の時の話題は、熊の話してもちきりで、仕事柄相当怖い目にあった方たちが多く、顔に大きな傷跡がある人もいるほどでした。

 普通、熊は人を襲うことはまれで、間違っていきなり遭遇することは危険なので、携帯ラジオなどを鳴らして、熊に近づかないように教えながら山仕事をするらしいのですが、風下から不意に近づくことが危険だそうです。

 弁当の残りなどを放置すると味を覚えてついてきて、最後は人を食うらしくそのような悲惨な事件もあったそうです。

 冬眠直前には人家まで入ってきて、冷蔵庫を開けて酒まで飲んでいったこともあったとか、2階で家族そろって恐怖で震えていたというような話もしてくれましたが、命がけのようです。

 人口減と熊猟師の減少で増えすぎているらしく、被害が多発するようになったようです。

 わが町でも、イノシシが増えすぎて、夜間町内をうろついて危険なので、5年ほど前、猟師両氏に依頼して駆除したのですが、最近またハイキングコースの脇をミミズを求めて掘り返しているようで、今年はまた団地に現れそうです。

 山林も動物も適正に管理しないと荒れたり増えすぎたりと弊害が出るようです。

 ヘリは自然の中を低空で飛行する仕事が多く、様々な動物とじかに出会えたのはヘリパイロットの役得かもしれません。

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アメリカ救急ヘリ墜落と似た体験、、、、

204 (2)

 フロリダの救急ヘリの墜落事故で30年前、同じような体験をし、無事着陸して事なきを得て、今も生きているをわが身の幸運を思わずにはいられません。

 すでにこのブログでは複数回取り上げていると思いますので、興味のある方は検索していただくと違ったことを書いているかもしれませんが、、、、

 フロリダの救急ヘリは事故の直接の原因はまだわからないままですが、新たに検索したニュースではパイロットの最後の通信の録音が公開されていて、よく聞き取れませんがファイヤと最初に行っているように聞こえましたので、火災警告灯が着いた可能性が高いようです。

 私の場合は朝一番に八尾空港を飛び立って、神戸の新神戸駅から山頂の布引公園へのロープウエーの工事で、鉄塔が完成し、ロープウエーのロープを始めて渡す工事に向かう途中でした。

 大阪湾まで来て、眼下に前日の台風で転覆した100メートルくらいの貨物船の腹を弥次馬で見るため旋回に入ったところ、後ろの真ん中に座った整備部長が”イッサン”(私のニックネーム) エンジンオイル温度が高くない?と声かけたのが悲劇の始まりでした。

 針が上限に向かって動いているように見え、計器が故障かなと少し強めに叩いても、正常に戻らず、ヤバイ 本物だ!!すぐに神戸ヘリポートに機種を向けました。

 エンジンを絞ってアイドルで頭を下げて突っ込んでいくと、上限まで移動した針が少し、下がり出し、あーーやれやれと思ったものの高度が下がりすぎたのでパワーを少し上げたら今度は上限をはるかに超えて振り切れそうでした。

 そのころには機内は焼けるようなにおいが充満し、ちょうど通過中の関電タービン発電所の構内に降りるかと迷ったものの、真上過ぎて回るのに時間がかかるので、神戸ヘリポートまで行くことに決め、「止まるな。止まるな、回れ、回れとエンジンを激励する言葉を心の中で繰り返していました。

 ちょうどそのころにはエンジンの排気口からブルーインパルスのような白煙を引いていたとはつい知らずでした。

 神戸ヘリポートに緊急着陸の無線を入れると、なんと4番スポットへと言うではないか、この場でなんと縁起の悪い番号、、、、

 最速のスピードで4番スポットへ直行して、近づくとヘリポートの他社の関係者が皆注目している、、なぜ??

 大きくフレアーしてスピードを殺すと排気口からの大量の白煙が機体を包んで、視界不良になるほどでした。

 みんなが注目するはずでしたが、後ろの見えない我々は知らぬが仏でした。

 白煙に火が付いたら、フロリダと同じ運命になった可能性があったようです。

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阪神淡路大震災から28年、、、

南港

 https://news.yahoo.co.jp/articles/d4e3135f7558ba6bb4ca992cb3ca160a108af1ff

 あの大震災から早くも28年も過ぎたそうで、地震から1月後の2月に初孫ができたので、その彼も今は28歳、ひ孫の女の子に恵まれていますので、地震の年は忘れることはありません。

 地震の10日ほど前にはいとこ仲間で病気で初めて亡くなったものが出て、これも忘れることはありません。

 地震の日の朝は朝いちばんに八尾空港を飛び立って、吉野へ木材搬出に出る予定だったので、ちょうど目を覚ます時間ころに奈良の自宅で揺れを迎えました。
 
 ひと月くらいは地震対応のフライトや東京方面から30機も来たヘリの運行管理にとほとんど家に寝に帰るだけの日が続き、写真は4月に入ったころ南港の高層ビルにパラボラアンテナをつける工事のものです。

 最終的に地震関係のフライトが終わったのは1年後で、六甲山の各地に急遽砂防ダムを造るフライトが長く続きました。

 当時は乗員課長も兼ねて飛んでいたので、朝一番にテレビ取材に送り出した、部下が、8時過ぎに、高速道路倒壊の絵を全国初のスクープ中継をして、お手柄だったのですが、一年後に長野へ転勤して、取材中に空中衝突して殉職していしまいました。

 確か地震の一年前には、課長になってひと月くらいの時に新人の部下が沖縄で墜落して殉職することもあって、管理ができなくて申し訳ないことをしたものでした。

 そのころからだんだんと飛べない配置になって、腕も落ち、元気体力も落ちて、そろそろ最後まで平和に終わるかと思っていたら最後の最後に東北震災へ飛ぶことになって、波乱のパイロット人生が終わりました。

 やはり、大災害の緊張感のフライトは昨日のように、ストップモーションで印象深く残るシーンが多くあり、普通の人が体験できないようなことを数多く体験でき、良い人生でした。

 子や孫が元気に育ってくれることを思うだけの日々ですが、毎日が日曜日の平和も良いものです。
 
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プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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