阪神淡路大震災から28年、、、

南港

 https://news.yahoo.co.jp/articles/d4e3135f7558ba6bb4ca992cb3ca160a108af1ff

 あの大震災から早くも28年も過ぎたそうで、地震から1月後の2月に初孫ができたので、その彼も今は28歳、ひ孫の女の子に恵まれていますので、地震の年は忘れることはありません。

 地震の10日ほど前にはいとこ仲間で病気で初めて亡くなったものが出て、これも忘れることはありません。

 地震の日の朝は朝いちばんに八尾空港を飛び立って、吉野へ木材搬出に出る予定だったので、ちょうど目を覚ます時間ころに奈良の自宅で揺れを迎えました。
 
 ひと月くらいは地震対応のフライトや東京方面から30機も来たヘリの運行管理にとほとんど家に寝に帰るだけの日が続き、写真は4月に入ったころ南港の高層ビルにパラボラアンテナをつける工事のものです。

 最終的に地震関係のフライトが終わったのは1年後で、六甲山の各地に急遽砂防ダムを造るフライトが長く続きました。

 当時は乗員課長も兼ねて飛んでいたので、朝一番にテレビ取材に送り出した、部下が、8時過ぎに、高速道路倒壊の絵を全国初のスクープ中継をして、お手柄だったのですが、一年後に長野へ転勤して、取材中に空中衝突して殉職していしまいました。

 確か地震の一年前には、課長になってひと月くらいの時に新人の部下が沖縄で墜落して殉職することもあって、管理ができなくて申し訳ないことをしたものでした。

 そのころからだんだんと飛べない配置になって、腕も落ち、元気体力も落ちて、そろそろ最後まで平和に終わるかと思っていたら最後の最後に東北震災へ飛ぶことになって、波乱のパイロット人生が終わりました。

 やはり、大災害の緊張感のフライトは昨日のように、ストップモーションで印象深く残るシーンが多くあり、普通の人が体験できないようなことを数多く体験でき、良い人生でした。

 子や孫が元気に育ってくれることを思うだけの日々ですが、毎日が日曜日の平和も良いものです。
 
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エンジンが止まらない話、、、、

スキャンデータ 001

 昨日はエンジンがかからない話でしたので、今日の話題はエンジンが止まらない話です。

 と言っても航空機、ヘリの話ではなく、給油用のタンクローリーの話です。

 大きな送電線の新設工事ではAS332や214Bが多用され、下手をすると一日で400トンもの生コンを運ぶこともよくあって、一日の売り上げが1000万円を超える場合もありました。

 もちろんそのためにはヘリも燃料をがぶ飲みし、ドラム缶で25本、5000リッターも使うことがあってドラム缶から給油していては間に合わないほどなので、古いタンクローリーを着陸帯の横に据え付けて、給油していました。

 3,4日で空になりそうになると同じ容量のタンクローリーが走ってきて,ジェット燃料を移し替えることをしていました。

 夕方作業を終わって違う現場へ移動するために、所帯道具をすべてヘリに積み込みながら給油して、機体の燃料搭載量がちょうどよくなったので、合図して給油を止めさせました。

 日没が近いので、早く離陸しようとしていたのですが、整備士3人が何かタンクローリーの運転席付近でやっているようで、なかなかヘリに乗ってくる様子がなく、合図して操縦席のドアーのところへ呼んでどうしたのかと問うと、タンクローリーのエンジンが止まりませんとのこと。

 ローリーはジーゼルエンジンなので、確かキーを切ってもエンジンは止まらないらしく、デコンプレバーを引いて止めるらしいのですが、引いても止まらないということで頭を抱えています。

 ローリーのエンジンがかかったまま離陸していくわけにはいかないので、ヘリのエンジンを止めてくださいと、修理する気になっていました。

 あっと気が付いて、ヘリから降りて、ローリーの運転席に座って、一瞬で止めて見せました。

 自分は運転が下手だったので、、、、ではありませんが、やわらギアをセカンドに入れて、クラッチを急に離せば、ノッキングして見事に止まりました。

 サー早くみなヘリに乗ってーーー、出発だーーと無事離陸しました、エンジンが止まらない話でした。

 ヘリのエンジンが止まらない話はなかったような気がしますが意外にあったかもしれません。

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ヘリコプター スキッドタイプの利点、、、

朝日時代 (6)

 最近のヘリのパイロットには初めからヘリで飛行機を操縦したことのないものがまれにいるそうですが、私はパイロットとしてのスタートを飛行機で始めたので、ヘリに車輪がついていてもあまり違和感はなく、着陸地上操作ができました。

 長い間、ずっとスキッドタイプで、1万時間以上飛んでから、AS330 で車輪タイプを操縦したのですが、日本国内で、民間で運用するヘリは、大きなヘリでもスキッドタイプのほうが扱いやすいという感じを受けていました。

 というのはスキッドタイプのヘリがいったん着陸すると、相当な急斜面でも、強風が吹いていても、スキッドががっちり地面をつかんでくれるので、ほとんど動く心配がないからでした。

 飛行場では傾斜している駐機場などはありえないので、パーキングブレーキをかけておくと動く心配はないのですが、ヘリが着陸する飛行場以外の場所では、接地面が傾斜していることは普通にありますし、3車輪がギリギリ入る鉄板や板の上に降りることもあり、雨でぬれている場合など、いつ滑ってもおかしくはありません。

 着地と同時にパーキングをかけるのも、ピッチレバーから手を離さないとできませんし、かけたまま接地すると少し動いただけでもタイヤを痛めてしまうし、動かなくても設置から荷重をかけるときにタイヤが開くときに痛めてしまうことがあります。

 普通はタイヤが接地するとピッチレバーを下げて荷重をかけるときに、タイヤが半回転するくらい前に進んで回して、横方向のスリップを軽減させる操作をするのですが、強い傾斜があるとこれができません。

 ということで。6トン以上ある214Bでもスキッドで、気軽に傾斜面に着陸していましたが、大型ヘリでスキッドタイプで不利な点はやはり、ダウンウオッシュの強すぎることで、最速25メートルの風だそうですが、この点場所が広ければ、車輪タイプは離れたところで接地して、転がして移動できるという利点があります。

 たまに、車輪タイプの引き込み式に乗ると、ギアダウンの手順を相当気を使って忘れないようにすることでした。

 ということで、長距離空輸の時は上げますが、物資輸送中など、下ろしたまま飛ぶことが多くて、ともすれば車輪タイプであることを忘れそうになります。

 写真は車輪タイプのメリットの一例で、泥んこの軟弱な田んぼに直角に最小の板を敷いて、荷重を受け止めて着陸していますが、車輪タイプではできない芸当です。

 ヘリの荷重はローターマスト付近に重心があり、その部分に荷重が集中的にかかるので、広く敷いてあり、前方部分は安定を取るためだけでほとんど荷重はかかりません。

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広島への旅

今朝は広島県呉市のグリンピア呉で今5時に目覚めています。

昨日は姉夫婦のリクエストでルーツを尋ねる旅に出かけてくました。

神辺町にある山城跡のすぐ下にあるお寺が菩提寺で、城主金尾一族の末裔らしいのですか、関係者は

誰もいないようです。

詳しい話は後日、機会があればということにします。

今日は大和ミュージアムをたずねて、時間があれば広島市内を回って帰ります。

タブレットからなのて写真もアップ出来ません。

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無事帰宅し写真をアップします。

DSCN2771.jpg



阪神大震災から27年、、、、

神戸での飛行 (8)

 https://news.yahoo.co.jp/articles/5b1712d7c5167dad992deff3422d0277f7aaaf0a

 早いものでこれ以上の災害はあり得ないと思うほどの悲惨な現場でしたが、昨日で27年目だそうです。

 当時は年齢、確か44歳、飛行時間が1万時間を超え、大手ヘリ会社の大阪の乗員課長での元気いっぱい、しかも2月には初孫ができる予定という時期でした。

 当日は朝8時過ぎに離陸して奈良県の吉野へ木材輸送の仕事の予定で、ちょうど起きる時間に激しい揺れで、布団の上に飛び起きました。

 すぐにニュースをつけるとかなりやばそうな感じがして、出勤するべく車で家を飛び出し、国道への交差点に来るとすでに八尾方面は渋滞で詰まっているようでした。

 いつもの八尾方面へは進まずに、逆方向へハンドルを切って、JR大和路線の閉まったままの踏切をこじ開けて、信貴山方面へ進んで狭い山道の峠を越えて裏道伝いに八尾空港へ向かい、7時半には社員で2番目に会社に入りました。

 一番は近所に住む女子社員で2番目が私、三番目がABC担当のパイロットで、4番目がABC機に同乗する整備士でした。

 ABCの取材は普通、福島区のABC本社のすぐ近くの淀川河川敷でカメラマンをピックアップすることになっていたので、8時ころには離陸する準備ができて、空港から一番の取材機として出発し、8時17分に阪神高速の倒壊の絵を全国へ生中継する大手柄を果たすこちになりました。

 パイロットは次の年に長野県の取材機同士の衝突事故で殉職、女子社員もその後重病で死亡してしまいました。

 自分自身は吉野へ飛ぶ予定の204Bに飛び込みチャーターのテレビ大阪の取材機で、戦争の爆撃を受けたような被災地をくまなく飛び残念量10分で八尾空港へ着陸しました。

 当日午後からは東京からの取材機など自社の分だけで30機近くも飛来し、大阪配置分の10機程度を入れて40機近く飛ばすことになりました。

 一月ほど休みなく勤務し、2月に初孫が無事生まれ、震災関係のフライトは六甲山中の砂防ダム工事など1年近くも続くこととなったのです。

 このブログは震災の体験で、取材飛行中、座席が十分に空いているのに高速道路上に寝かされているけが人を助けることができなかった経験がきっかけとなりました。

 https://bell214b1989.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


 「私のドクターヘリ原点」 という記事を3回程度にわたって書いています。

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プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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