記録的大雨から行楽日和、、、

奈良

 昨日は、前日の記録的豪雨から一転、行楽日和の好天に恵まれて、午前中は唐招提寺の鑑真和上座像特別開扉と午後は懐かしい航空自衛隊幹部候補生学校の基地祭の梯子をしてきました。

 1300年前と現代の姿が、5キロも離れていない所で見ることができるのは、奈良大和、ならではの幸運でしかも前日の記録的な豪雨でも全く何ら災害が起きない古都奈良ではの立地条件でしょうか。

 古代の日本人はさすがに良い場所に都を設けたものです。

 幹部候補生学校の基地祭では過去にはブルーインパルスが飛ぶこともあったようですが、残念ながら飛行展示はC130 とT400 のみで、しかも午前中に一回だけですが、唐招提寺の上を500フィートで急旋回している姿を見るのは古都、奈良ではの幸運です。

 唐招提寺は日ごろ活動している地元王寺町のボランテイア歴史ガイドの勉強会の行事で、日ごろのガイドに有効な知識を深めようという有意義な活動でした。

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まさか??? 疑り深いパイロットは長生きする!!

松本へ (38)

 https://news.yahoo.co.jp/articles/34b52ffb83c4b9e384c59d4ff6f74c85f4569dcb

 世の中 善人ばかりなのか、日本人だけがそうなのかよくわかりませんが、阿部元総理を暗殺したのは中国のスナイパーだとか、小松のアグレッサーの隊長が事故死したこと、奈良県知事選で自民党が自ら墓穴を掘ったこと、今回の陸自のヘリが南西諸島で墜落し、最高指揮官が殉職したこと、千葉県では中国移民の変な女性が国会議員に当選したこと、これはすべて中国にとって利益になる事ばかりです。

 中国は国際社会では傍若無人の態度が非難ごうごうで、することなすことほぼどこの国も信用していませんし、大変警戒している中で、どうも裏金などで一部の国やVIPを篭絡するするようなことばかりしているようにも伝えられています。

 このような情報が陰謀論と取るか、国家の危機と取るかは人それぞれですが、旅客機のように穂との落ちない航空機以外のヘリや軍用機の場合、普通に事故がありますので、パイロットが日ごろから楽観的に飛ぶか、疑り深い態度で飛ぶかは個々人の性格によるものの、普通は最悪のことを考える疑り深い態度が身に着くようです。

 ただし、その態度を表に出すか、心に秘めているかの違いはありそうですが、やはり心のどこかには大変慎重というか疑り深い姿勢となるでしょう。

 奈良県知事選で自民党が2人出ると落ちるのは当然の結果なのになぜ、何が良いと思ってそのようなことをするのかはだれでにわかりそうなものでしょう。

 狙って撃った弾が外れているのに、横っ飛びで撃った球が当たるはずはないのはちょっとでも銃を触った人間なら常識ですし、ヘリが海に墜落して粉々になって全員死ぬなど普通ではありえないということは航空人なら常識でしょう。

 政治家は市議から県議,落選中の同僚などあまた候補者がいる中、中国移民の2世の女を選んで総理が2回も応援に行くくせに、奈良には誰も来ないなどありえないでしょう。

 陰謀論で世論をかく乱することはよくない、平和的でないというような考え方が主流であるようですが、ことは国家のことですから、ヘリや飛行機が飛ぶ場合にパイロットが少し疑り深くなって、できれば長生きしようとする程度ではなく、最悪の事態を考えることは当然でしょう。

 安倍総理が撃たれたときの一報に接したときに、総理と外相はやったとつぶやいてほくそ笑んだとか、ヘリの墜落した一報に接した防衛大臣は即座に事故ですと言ったとか、怪しすぎることが多すぎるようです。

 中国外相の王毅が日本のことをぼろくそに言っているのに、バカは謝謝とお礼を言ったとかあまりに馬鹿げていますし、国会ではおかしなことばかりを議論していて憲法論議は、まったくしないとか、どうも疑り深い元パイロットの逆鱗に触れることばかりです。


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ビーコン、、、、



https://nara-noroshimap.com/news/uncategorized/107/?fbclid=IwAR0r052IeWwH7lpRsJO7BqRPJAeJkHU28U3IMST0PBDe0Ah-72v2bsA3MzE

 私は航空の世界でのビーコンという言葉が普通に使っていたのですが、この言葉の本来の意味が狼煙だとは知りませんでした。

 最近わが町で狼煙を実際に挙げてみてどの程度まで見えるかという実験をしていて、1月7日は3回目の予定でしたが天気予報が悪くて延期となりました。

 奈良大阪の県境にあるわが町の明神山は、明石海峡と飛鳥を同時に見渡せる位置にあり、亡くなった橿原考古学研究所長の菅谷先生が明神山に上るたびに、古代にここに狼煙の中継所があったたはずなので、実証実験をやってみろと学芸員にいつも言われていた説の実証実験だそうです。

 はるか西のほうから当時の何を知らせようとしたのかというと、白村江の戦いで唐新羅にぼろ負けして逃げ帰った日本軍は、いずれ唐に侵略されると恐怖のどん底に陥り、都を滋賀県まで移転したらしいのですが、対馬の金田城、筑紫、瀬戸内各地に狼煙の中継作って作って明神山から飛鳥まで連絡し、、敵軍の侵攻に備えたらしいとのことだそうです。

 狼煙をオオカミの煙と書くのはオオカミの糞が良い煙を出すらしいのですが、現在は杉の枝を燃やすと良い煙が出るようです。

 吉野でヘリ集材で飛んでいたころ、一面高さ30メートルの杉ヒノキの植林地から、択伐してヘリで釣り上げて運ぶのですが、朝いちばんの釣り上げ位置は上から見ると全く見当もつかないので、杉の枝を燃やして狼煙を挙げていました。

 狼煙はどんなに遠くからも大変見やすくて、一発で直上へホバリングして釣り上げることができたものです。

 ヘリで長距離を飛行する場合、地図上で方角を図って、計器盤の直径10センチのコンパスをその角度に合わせて飛ぶ場合と、50キロ先の山を目印に飛ぶのとでは、遠くの目標に飛ぶことがいかにヘリが安定するか劇的に違い正確にトラックをたどることができます。

 地形を知らないでコンパスで飛ぶことがいかに不安定になるか、10センチの計器の指示と50キロの大自然を目標とする違いです。

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航空関係者へおすすめの神社、、、

龍田大社 (2)

 https://www.tatsutataisha.jp/

 このコロナのご時世でも、お正月は初もうでに出かける日本人は多いと思いますが、航空関係者が出かける、専用というか由緒がそれなりにある神社仏閣はあるようです。

 私も現役時代は会社がいつもご祈祷をお願いしている、京都八幡にある、二宮忠八ゆかりの飛行神社などにお参りしていましたし、操縦士協会も代表として4月29日の年次祭にも行っていました。

 参ったことはないのですが、羽田には航空神社があるようですし、関空には泉州岩船神社(航空神社)が新しくできていたようです。

 東京本社は交通に神様成田さんへ大挙して参拝していたようですが、神頼みも限界があって、事故が起きることはゼロにはできなくで、死亡事故の翌朝早く、白装束の飛行神社の宮司さんが会社へ見えてお見舞いと活を入れに来ていただいたこともありました。

 私が個人的におすすめする、航空関係の神社とも言えないのですが、風の神様、風神龍田大社があります。

 場所は信貴山を東に下った三郷町にあり、創建時は信貴山の稜線近くの相当高いところにあって、礎石が残っていますが、源氏平家の戦いで焼け落ちて、ふもとへ移転したようです。

 創建は、史実上では、初代の天皇ではないかと言われる、10代崇神天皇の世で、疫病がはやり、不作が続く飢饉に襲われ、国民の半数近くが亡くなったともいわれる、大気候変動があった時代で、風の神様を祭って収めたと言われています。

 7月には風鎮祭が行われるようです。

 風の神様なので、風を収めるということで信貴山超えの強風で日本最古の製鉄を行ったことや、元寇の時には風の神様が袋に風を詰めて博多湾まで飛んで行って、その袋からの強風で元の船を吹き飛ばしたそうです。

 神社入り口の鳥居のわきには江戸時代の廻船問屋組合が、大きな対の灯篭を奉納したものが今でも残っていますので、航海に良い風が吹くように祈願したようです。

 飛鳥から斑鳩へ出てきて、法隆寺を建立した聖徳太子は龍田の神を守護神にと分祀して斑鳩に龍田神社を創建し、法隆寺の守り神としたそうです。

 聖徳太子の時代からさかのぼること500年も前に、疫病や不作が風や空気の動きなどの仕業で起こることや、台風など災害から国家国民を守るべく、風の神様を祭ったそうですから、今のぼんくら政権より相当良い政治をしたとも言えるようです。

 自分自身は30年以上、正月ごとには参拝し、子供たちの七五三や宮参りにも出かけ、吉野で飛んでいたときには、自分が搬出した木材を神社の建物の改修に銘木を多数使ってもいただきました。

 航空神社だーと商売目的でのご利益の強調はしていないようですが、歴史由緒から一番の航空関係神社だと思います。

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戦いの歴史の後、、

明神山 快晴 (98)

 http://oujiguide.web.fc2.com/news22.5.4.pdf

昨日は台風一過の好天の元、歴史ガイドの会でお客様を12キロの散策に案内したため、さすがに疲労困憊でブログを書くことができずに寝てしまいました。

 案内ポイントは難波大和の国境の明神山と王寺町内でも古刹、達磨寺での座禅体験をしていただくという人気コースでした。

 明神山は標高が270メートル少しの生駒山の半分ほどの低い山で、現役当時にヘリで何回も行き来しても、どこが頂上かもわからないほどなのですが、歴史には飛鳥時代以前の白村江の戦いの時代からの重要な地点だったという説があるほどです。

 日本中をヘリで飛び回ったころにはそのような知識は全くなくて、今思えば様々な知識があれば飛行中も持った意義深い時間だったと悔やんでも遅いのですが仕方がありません。

 昨日はお客様を相手に好き勝手な案内をしましたが、今日のブログはその続きの歴史です。

 白村江へ戦いにぼろ負けした朝廷は朝鮮半島から仕返しの中国韓国方面からの軍が当然日本大和に攻めてくることに大変な恐怖を感じていたようで、対馬の金田城から、博多、瀬戸内海、大阪の高安山から明日香に至る見通しの良い山に現在の防空レーダーのような山城を築いて、侵略軍の情報を狼煙で連絡したようです。

 ちょうど高安山にはVORDMEがあって、伊丹への離着陸に使用されていますが、今も昔も重要拠点は重なるようです。

 明神山にはそのような狼煙による痕跡は全く発見されていないのですが、現場に立つと、明石海峡から高安山が良く眺望でき、振り返れば明日香の都がよく見えて、狼煙連絡の最終点ではないかと、有名な歴史学者が言っておられました。

 ヘリで行きかった場所が2000年前の古代人は飛ぶことはできなかったんですが、ヘリで飛ぶのと同じような視点で遠距離を結んでいたことが頂上に立つとよくわかります。

 明神山の下には大和川が流れる様子が一手に見て取れて、明石海峡から難波の宮に着いた中国方面からの使いの要人たちや、遣唐使たちが行き来したよく理解できます、

 シルクロードの最終地点で仏教が伝来したという桜井市の椿市まで見えるので、ヘリで飛ぶより歴史が良くわかる感じです。

 というような景観をご案内したのですが、12キロも歩くと老体はしばらく再起不能です。

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プロフィール

bell214b1989

Author:bell214b1989
35年間のヘリパイロット生活 
最終5年間はドクターヘリでした。

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